江戸時代のおもかげ 三島宿

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三島は幕府の直轄地である天領でした。天正18年関八州の領主となった徳川家康は直ちに三島代官所をつくり、伊豆の統治を始めました。初代代官は伊奈熊蔵でした。
宝暦9年(1759)になると170年間続いた代官所は、韮山代官所に統合され、三島は陣屋(支所)の役割を果たしていました。

三ツ石神社の時の鐘

江戸時代に時を知らせた鐘です。特に朝、夕の6時の鐘は三島宿の木戸を開閉する時刻を旅人に知らせていたのでしょう。現在の鐘は、昭和25年の再建されたものです。

笠置石

 

宝鏡院内に置かれている。源頼朝が笠を置いた石と伝えられる。笠置石は三島七石の1つと伝えられています。宝鏡院は、足利二代将軍義詮と、茶々丸(北条早雲)に殺された伊豆堀越公方足利政知の墓があることで知られています。

鞍掛(くらか)けの石

宝鏡院には、三島七石には含まれていないが、その山門に行く道の入り口に、左右一対の石があり、神社参詣のひとがここで馬に乗ったとか、源頼朝が鞍を置いたなどと伝えられる鞍掛け石があります。

しばられ地蔵

地蔵は人間のあらゆる願望を聞いてくださる。延命、火防、盗難防止、病気平癒といろいろです。山田の地蔵さんは、安産を祈り無事出産をすますと、7尺5寸3分のさらしの布を体に巻き付けてあげる風習が今日も続いています。

江川担庵(たんあん)

陣屋跡の面影は竹林路(ちくりんじ)の道路に沿った石垣だけと言われてきました。平成2年、この陣屋跡を発堀し江戸時代の建物と推定される礎石と柱穴がみつかりました。

陣屋(韮山代官所の支所)の広場で、農民の中から選抜した人たちに洋式の軍事訓練を行い、国防に役立たせようとしました。「まわれ右」という号令はここから誕生し、現在も使われています。

沢地の双体(男女)道祖神

江戸時代には村を単位とした氏神を中心に統合されていました。村の境にはサイノ神、地蔵などの神仏や碑、塔類が祭られていて、村の内と外を区別していました。各種の講もつくられその信仰の対象としての石造物も見られます。

法華寺の地蔵尊

この寺の宗派は曹洞宗で、奈良時代に建てられた大寺院「大興寺」(だいこうじ)の跡だと言われている。

大興寺が代用「国分尼寺」となり、国分尼寺は「法華滅罪之寺」と言われたことから法華寺の名が残った。

源頼朝と関係の深い寺で、現在境内に頼朝の腰掛け石、頼朝の衣掛け松、頼朝の経塚などが残っている。

三島をよく往来した頼朝は源氏の旗挙げ成就をこの寺にも祈願し、写経を奉納したと言われている。現在、経塚跡には地蔵尊が安置されている。

新町橋の無縁法界地蔵尊

新町橋南側川沿いにある。江戸時代、新町橋の場所に処刑者の首をさらす場所があり、引取人のない者の供養のため安置された。土地の人たちのよって、毎年7月20日に供養がされ、手厚く祀られている。

佐野の聖観音像

多呂、田種寺の庚申塔

 

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