三島宿(みしましゅく)(静岡県三島市)

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三嶋大社の門前町として栄えた三島宿は、箱根越えを成し遂げた人々が「山祝い」と称して、少なからず散財した場所として栄えました。

守綱八幡神社(もりつなはちまんじんじゃ)

創建は不明ですが寛永年間頃と云えられています。祭神は守綱大神、境内には秋葉さん常夜燈などがあります。

三嶋大社(みしまたいしゃ)

伊豆国の一宮で、三嶋大明神を祭っている。
奈良・平安時代の古書にも記録が残っており、源頼朝が源氏の再興を祈願したことでもよく知られている。平成12年には、本殿が重要文化財に指定された。頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬も篤く、三嶋大明神の称は広く天下に広まっていった。

円明寺(えんみょうじ)

江戸時代に諸大名が三島宿宿泊する際に、泊まるよう指定されていた宿である。旧樋口本陣の表門が、円明寺に移築されたものと言い伝えられています。

世古本陣跡(せこほんじんあと)

三島宿には、世古本陣と樋口本陣の本陣が2軒存在していた。ここ世古本陣は、一の本陣と呼ばれ世古六太夫が勤めた。逸話では慶長4年(1599年)58歳の家康が、ここで阿万の方(当時おきく20歳)を見染めた。また、安政4年(1857年)に三島宿に泊まっていたアメリカ人ハリスが宿泊先(世古本陣)の日本庭園の素晴らしさをを日記に書いています。

樋口本陣跡(ひぐちほんじんあと)

三島の宿には樋口本陣と、道を挟んで 世古本陣があった。本陣の建物は書院造りで、門構え、玄関、上段の間、控え の間などの部屋や湯殿、庭がある広大なものだった。郷土館には宿泊した大名 の関札があり、樋口家にある『樋口本陣文書』と『織部灯籠』は、市の文化財 に指定されている。なお、三島大社には茶室『不二亭』も移築されている。

常林寺(じょうりんじ)

天正元年(1573)開創の曹洞宗の寺で、開山は麒庵東麟大和尚(きあんとうりんだいおしょう)。本山は永平寺、總持寺。法堂(はっとう)には本尊として聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)が祀られている。現法堂は、昭和5年(1930)の北伊豆地震の直後に再建立され、三門・庫裡とともに木造の伝統的な建築物である。

 

三石神社(みついしじんじゃ)

創建年代は不詳。宝暦11年(1761年)造営の棟札が残っており、それ以前の建立。 源兵衞川の川辺に三ツ石という巨石があり、そこに社を設けて稲荷社を祀ったことにはじまるという。平成6年に現在の本殿を造営。境内には「時の鐘」がある。寛永年間(1624~44)に鋳造され、江戸時代から三島宿に時をつげていた名残。現在の時の鐘は昭和25年に再建したもの。

伊豆国分寺(いずこくぶんじ)

国分寺は 「今光明四天王護国寺」として天平13年(741年)全国に建立の詔勅が下された。伊豆国分寺は昭和31年軽部慈恩氏によって発掘調査され、寺域と伽藍が推定された。塔跡は現国分寺境内にあり、基壇と8個の礎石が残されている。

笠置石

宝鏡院内に置かれている。源頼朝が笠を置いた石と伝えられる。笠置石は三島七石の1つと伝えられています。宝鏡院は、足利二代将軍義詮と、茶々丸(北条早雲)に殺された伊豆堀越公方足利政知の墓があることで知られています。

鞍掛(くらか)けの石

宝鏡院には、三島七石には含まれていないが、その山門に行く道の入り口に、左右一対の石があり、神社参詣のひとがここで馬に乗ったとか、源頼朝が鞍を置いたなどと伝えられる鞍掛け石があります。

しばられ地蔵

地蔵は人間のあらゆる願望を聞いてくださる。延命、火防、盗難防止、病気平癒といろいろです。山田の地蔵さんは、安産を祈り無事出産をすますと、7尺5寸3分のさらしの布を体に巻き付けてあげる風習が今日も続いています。

江川担庵(たんあん)

陣屋跡の面影は竹林路(ちくりんじ)の道路に沿った石垣だけと言われてきました。平成2年、この陣屋跡を発堀し江戸時代の建物と推定される礎石と柱穴がみつかりました。陣屋(韮山代官所の支所)の広場で、農民の中から選抜した人たちに洋式の軍事訓練を行い、国防に役立たせようとしました。「まわれ右」という号令はここから誕生し、現在も使われています。

 

沢地の双体(男女)道祖神

江戸時代には村を単位とした氏神を中心に統合されていました。村の境にはサイノ神、地蔵などの神仏や碑、塔類が祭られていて、村の内と外を区別していました。各種の講もつくられその信仰の対象としての石造物も見られます。

法華寺の地蔵尊

在境内に頼朝の腰掛け石、頼朝の衣掛け松、頼朝の経塚などが残っている。三島をよく往来した頼朝は源氏の旗挙げ成就をこの寺にも祈願し、写経を奉納したと言われている。現在、経塚跡には地蔵尊が安置されている。

新町橋の無縁法界地蔵尊

新町橋南側川沿いにある。江戸時代、新町橋の場所に処刑者の首をさらす場所があり、引取人のない者の供養のため安置された。土地の人たちのよって、毎年7月20日に供養がされ、手厚く祀られている。

 

佐野の聖観音像

多呂、田種寺の庚申塔

 

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