東海道で3番目に小さな日坂宿

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本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠33軒の宿場であり、坂下、由比に次いで、東海道で3番目に小さな宿場だった。

秋葉常夜燈(あきばじょうやとう)

火難をよける日伏の神として宣伝された秋葉寺が組織した講を信仰し、1856年(安政3年)に建立されたものと云われている。

日坂宿本陣跡(にっさかじゅくほんじんあと)

25番目の宿である日坂の本陣跡。 「本陣 扇屋」という記載のある木札も並んでいる。

問屋場跡(といやばあと)

問屋1人、年寄4四人、帳付5人、馬指3人、人足割3人、同下役6人が仕事をしていたと云われる日坂宿問屋場跡。

黒田脇本陣跡(くろだわきほんじんあと)

日坂宿の脇本陣は時代と共に移りかわり何軒かが努めた。幕末期に日坂宿最後の脇本陣を努めた「黒田屋(大澤富三郎家)」があった。黒田屋は文久2年(1862年)の宿内軒並取調書上帳に、間口8間・奥行15間・畳101畳・板鋪15畳・惣坪数〆120坪と記されている。明治天皇が街道巡幸の際、明治2年3月21日と明治11年11月2日の2回にわたりここ脇本陣で小休止をなされた。

 

脇本陣などの肩書きはないが、身分の高い武士や公家なども宿泊した格の高い旅籠屋であったことが推測されている。 現在は、資料館として開放されている。

高札場跡(こうさつばあと)

高札場は人々の注目をひきやすい所に設置され、日坂宿では相伝寺観音堂敷地内にあり、下木戸の高札場とも言われていた。

下木戸跡(しもきどあと)

江戸時代、宿場の治安維持のため、東西の入口には木戸が設けられていた。大規模な宿場では観音開きの大きな門でしたが、小規模であった日坂宿では川が門の役割を果たしていた。

古宮橋の架かる逆川のこの場所が「下の木戸(下木戸)」となっていて、江戸時代初期の頃までは橋幅も狭く、粗末な木橋で、いったん事が起こったときは、宿場の治安維持のために橋をはずしたとも伝えられている。宿役人の管理下にあった高札場が木戸の機能を果たしていたという説もある。

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