川越業務で栄えた 島田宿

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島田宿は、川越業務を中心に栄えた宿場である。大井川の近くには、川会所、札場、番宿などが立ち並んでいた。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われたことからも分かるとおり、大雨で増水すれば、何日も足止めされた。

枡形跡(ますがたあと)

宿場の出入口には「見付」と呼ばれた施設がありました。もともとは城門の見張り施設のことをいいました。宿場の見付は、上に柵や竹矢来を設けた石垣や土手で、街道に直角や鉤の手に区画したり、または三方をコの字型に囲った升型の見付もありました。
島田宿の東入口には、例の少ない升形の見付が設けられていました。広さは五間四方(約80㎡)ほどです。

島田宿一里塚(しまだじゅくいちりづか)

江戸から数えて52番目の一里塚。

島田刀鍛冶(しまだかたなかじ)

室町時代から江戸時代末期の約400年間、刀の産地として有名であった島田。 室町時代初頭に「助宗」「義助」と銘を切る刀鍛冶が存在し、代々その同名を踏襲していった。 このことを記念する碑。

問屋場跡(といやばあと)

宿場の中心となる施設である問屋場の跡地。

大井神社(おおいじんじゃ)

創建不詳だが、西暦865年(貞観7年)にはその存在を示す記載がある。 御祭神が【水の神】彌都波能売神【土の神】波邇夜須比売神【日の神】天照大神の女神ばかりであるため、昔から安産や女性や子供の神として信仰されている。 なお、この神社の帯祭りは、日本三大奇祭の一つとされている。

大善寺(だいぜんじ)

大井川の渡しで使った時の鐘である「大善寺の時の鐘」が有名。 本物は戦時中に供出された。

島田市博物館

この地域は古来から大井川の影響を受けている地域。江戸時代には、5街道という街道網が整備され、参勤交代などの影響もあり日本全国の移動が活性化しました。また宿場町といわれ、旅人たちを泊めたり、参勤交代で上京したりする大名行列を泊める町が日本全国に設けられました。

この宿場町の名残は現在、日本の一部の地域などには残されており、江戸時代ならではの雰囲気を味わうことができます。宿場町の中でも特殊な制度がある町です。

島田宿は有名な東海道五十三次の二十三番目の宿場町として、大井川を挟んで隣の金谷宿まで行くための宿場町(もしくは逆)ですが、大井川を渡るためには川越をしなければならなかったのです。

というのも当時、大井川には橋がかけられておらず、また船で渡ることも禁止されていました。橋を架けなかった理由はおそらく防衛上の理由からかと思われますが、こうした状況から人を担いで渡る川越制度という独得の制度が設けられました。

島田宿はそんな珍しい江戸時代の制度が垣間見える宿場町として国の史跡に認定されています。

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