日本100名城にも選ばれた 山中城(静岡県三島市山中新田)

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三島から箱根峠に登る「東海道(現在の国道1号)」の交通要所の抑えとして、標高580mの箱根山中に小田原・北条氏が築城した、小田原城の支城です。

東西1.7km、南北2.6km、約20haの面積を有し、西側には駿河湾と富士山を一望におさめ、伊豆にある韮山城までも眺められた堅城です。

1560年頃北条氏康が西国への押さえに箱根十城のひとつとして築城したのが起源で、武田信玄の侵攻に備えて、1558年~1570年頃に、北条氏康により築城されました。

北条氏の本拠地である小田原城の西の防衛を担うのが、この山中城でした。山中城は東海道の道筋を場内に取り込む形で設計されました。5倍の敵兵力には耐えられると・・・・。

現在も山中城内を国道1号が通過しており、当時、街道の通行監視も兼ねた重要防衛拠点であった事が伺えます。

四代目氏政は1587年に豊臣氏との対決の為に大改修しています。その目的は最前線軍事拠点であり、北条氏独特の築城法が用いられました。

石垣は一切使用しない、土塁や空堀中心の城ですが、堀は障子堀・畝堀など、北条氏の築城技巧が優れていたことが良く分かります。その規模は雄大なものですが、豊臣秀次らの約7万の軍勢にはひとたまりもなく、午前10時ごろ開始した戦いはわずか数時間正午には決着し、落城しました。

畝堀、障子堀

敵が渡りにくい状況にするだけであれば、普通の堀で十分なのに、なぜ、わざわざ畝堀や障子堀を築いたのか?

堀に仕切りをして、畝堀や障子堀にすることで、雨水が貯まりやすくなるので、湿地のような役割をして、敵は進入は困難になります。平時には貯まった雨水で、山城の水不足を補ったのかも知れない。

また、いざ敵が攻めて来た場合には、水が貯まっていなくても、堀の中は移動しにくい、侵攻速度を遅らせて、塁上から弓や鉄砲で打ち取りやすくすることができます・・・・。

畝と言うのは、直線状に土を盛り上げた箇所の事を指します。要するに「畝」があることで、進行を予測できます。

本当にこの畝や障子の堀は、敵の侵入を防ぐのに有効だったのか・・・・?

敵が通るだろう道筋を限定させて、そこを鉄砲などで集中攻撃すると言う点においては、少ない防衛力でも対抗できる有効な防御方法なのか・・・・?。

検証するには実際に攻める気で歩いてみると納得できるかも・・・・。この山中城を真剣に回ると1時間では足りないです。スケールの大きい城跡なのです。

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