飯尾家第五代女城主、お田鶴の方(亀姫君)を祀る椿姫観音

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所在地:静岡県浜松市中区元浜町133(34.714842, 137.732955)
見学:無料
アクセス:
<電車>JR「浜松駅」から遠州鉄道「新浜松駅」乗り換え10分「遠州病院駅」下車。徒歩10分
<徒歩>JR「浜松駅」から徒歩20分。

戦国時代、飯尾豊前守乗竜(連竜)(いいお ぶぜんのかみ つらたつ)亡き後、引間城(曳馬城・引馬城)の女城主になったお田鶴の方(おたづのかた)は、永禄11年(1568)12月末、徳川家康の攻撃を受け合戦に臨みました。

華やかにして壮絶な死闘の末、お田鶴の方と侍女たちは戦いに敗れ討ち死にしました。

城を最後まで死守した女丈夫に感動した家康は、お田鶴の方と侍女18人の遺骸を厚く葬り塚を築きました。

家康の正室、築山御前も手ずから塚の周囲に百余株の椿を植え供養を営みました。

椿はその後毎年美しく咲き、付近の人々はこの塚所を「椿姫塚」と呼び追善供養を捧げました。椿姫の名は、この塚の周りに植えられた椿の花に由来します。

徳川家康公は好待遇を約束するから徳川に味方し城を開けるようにと何度も使者を出しましたが、お田鶴の方は首を縦に振りませんでした。

徳川家康公はやむなく曳馬城を攻めます。お田鶴の方は数百の部下とともに籠城しますが多勢に無勢でしたので・・・・。

数日後には城は落ちました。18人の侍女たちとともに自ら薙刀をもって最後まで戦ったそうです。

部下ともども討ち死にしたその姿を見て、徳川家康公はお田鶴の方を賞賛して手厚く葬りました。

徳川家康公の正室、築山御前も女傑の最後を憐れみ、墓に多くの椿を植えて供養したといいます。このことからお田鶴の方を椿姫と呼ぶようになったとか。

この話は諸説あってどれも微妙に異なるのですが、お田鶴の方が最後まで戦い討ち死にしたのは同じようです。

その生き様は徳川家康公だけでなく、当時の武士や後世の人々の心を強くうったのでした。

この小さなお堂がお田鶴の方を祀った椿姫観音堂です。横幅は二人並んだらもういっぱいいっぱいです。

悲劇的ながら鮮烈な最後で歴史に名を刻んだ女城主は、今もひっそりと曳馬を見守っています。

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