舞阪町 弁天神社

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昔、弁天島のこの辺りは砂洲が新居の橋本辺りまで続き、白砂青松「天の橋立」のような風景が広がっていました。

弁天島の美しさに誘われてか、ある日天女が舞い降りました。村人は大変喜び、社を立てるからここに留まってほしいとお願いしました。ところがどういうわけか、天女は駿河の三保の松原へ立ち去って行きました。

弁天島はもともと舞沢(現:舞阪)から西に向かって突き出た半島でしたが、1498(明応7)年の明応地震によって切断されたことにより現在のような島となりました。

 

舞阪と新居の間は渡船で行き来するようになりましたが、1709(宝永6)年に弁天神社がこの地に勧請されたことにより、以前は「西之野」や「孤島(きつねじま)」と呼ばれていましたが、「弁天島」と呼ばれるようになったようです。

人々は天女伝説のこともあり、この神社を大切に守ってきました。御祭神は「市杵島姫命」といい、海上・交通・家内安全、商売繁盛など諸願成就の神として多くの人々に信仰されています。

「弁天社」ですからご祭神は「市寸島比売命(いちきしまひめ)」宗像三女神の一人で、代表的な海の神様です。「宗像社」「厳島社」派閥の総大将でもあり、七福神の「弁財天」と同一視されてます。

境内には浜名湖弁天島を詠んだ正岡子規、茅原華山、松島十湖の文学碑があります。もともとは無人島であり、1889(明治22)年に海水浴場や旅館が開設されたことにより、観光地や保養地として注目され、開発が始まりました。

多くの旅館や別荘が建ち並び、昭和のはじめには別荘地開発を目的とした埋立地が造成されています。1973(昭和48)年8月15日には島南側の干潟に舞阪町観光協会が鉄鋼製の高さ18メートルの大鳥居の観光シンボルタワーを建設されました。

遠州灘(外洋)と浜名湖を結ぶ唯一の水路、「今切口」周辺は釣り場のメッカ
そんな幅100㍍ほどの「今切口」から湖内に入ると、ほぼ正面に赤鳥居が建ってます。シンボルタワー周辺は潮干狩りの名所として毎年多くの観光客が訪れます。

遠くからの撮影なので小さく見えますが、実物はかなり大きいです。実はこの赤鳥居、観光目的で建てられているので神社とは関係ないそうです。

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