宇津山 慶龍寺

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宇津山慶竜寺は、国道一号線から新宇津ノ谷トンネル静岡口の手前で旧東海道に入り、宇津ノ谷峠に向かう途中にあります。

かつては「渓流寺」と記されていたようで、寺の前には丸子川が流れ、そこに朱塗りの竜門橋がかかっていいます。

寺伝によれば、天正六年(1578)に泉ケ谷の勧昌院四世光岩宗旭和尚が開創し、後に勧昌院九世光國〇淳和尚(1686没)が中興しました。

本堂の須弥壇上には、向かって右側に本尊の11面観音、中央に高さ110センチ程の木製の地蔵立像と、脇侍の掌善童子と掌悪童子が祀られています。

しかし、この地蔵は「おまえたてさん」と呼ばれるものです。延命地蔵は、その後ろにある左甚五郎作の厨子に納められています。

21年毎の本開帳と、11年毎の中開帳の時にだけ姿を表す秘仏で、前回の本開帳は平成七年に行われた。

この秘仏の地蔵は、弘法大師の作と言われています。高さ80センチ程の石造りの座像で、両手で宝珠を・・・・。もとは宇津ノ谷峠に祀られて「峠の地蔵」と呼ばれていたが、明治44年に麓の慶龍寺に下ろされました。

慶龍寺の境内には、地蔵と一緒に下ろされた賽の河原の供養塔や秋葉灯籠が安置されて、「十団子も小粒になりぬ秋の風」という向井許六の句碑も建てられています。

<人食い鬼と十団子>

伝承によれば、天安年間(857-859)の頃、宇津ノ谷峠の奥に梅林院という寺があったそうです。

そこの住職に腫れ物ができ、時々小僧に血膿を吸わせていたところ、人の血肉の味を覚えた小僧は人を食う鬼になり、峠に住み着いて往来の人々を悩ますようになったそうです。

そのため、峠道を通る人も絶えてしまいました。その後、貞観年間(859-877)に在原業平が東国下向の勅命を受けて、この峠道を通ることになったそうです。

そこで、業平は下野国(栃木県)の素麺谷の地蔵に祈願して、この鬼を退治してくれることを願いました。

地蔵は旅の僧となって宇津ノ谷峠にやって来て、人間の姿に化けた鬼に向かって、「お前の神通力は大したものだ。では、小さくなることができるか」と言うと、鬼は小さな玉になって僧の手のひらに乗った。

僧はそれを杖でたたき、「今、お前は成仏した」と言いながら、十粒に砕けた鬼を飲み干しました。以後、街道に鬼は出なくなったという逸話が残っています。

この地蔵は宇津ノ谷峠に移り、旅人の安全を見守ることになりました。また、人々は昔の難事を忘れないために十団子を作り、それを食べたり、災難除けのお守りにしたりするようになったと伝えられてます。

大永二年(1522)に連歌師の宗長が「むかしよりの名物十団子」と記していることからも、十団子の伝説と結び付いた峠の地蔵が、かなり古くから祀られていたことがわかります。

現在、十団子は縁起物として、縁日の8月23日と24日に慶竜寺で売られています。また、この日には初盆供養のために遠近から多くの人々が参詣に訪れます。かつては地元の青年団が念仏供養を行ったと聞きますが、今は僧侶による供養のみが・・・・。子供たちが花や線香を売る風習は、昔から変わることなく続いています。

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