気賀関所

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関所は、徳川家康の命で創設されたと言われています。

関所の役目は江戸の防備。
『入り鉄砲に出女』と言われるように、大量の鉄砲を江戸に持ち込めないように、また人質として江戸に住まわせている大名の妻子が逃げ出さないように通行人を取り調べたと言われてます。

気賀関所は、残念ながら現存するものは無く、資料をもとに冠木門・本番所・向番所・遠見番所などを再建されたものです。この関所は、箱根関所、新居(今切)関所とともに東海道三大関所と言われています。

浜名湖の北側の本坂峠を越える道を『姫街道』と呼ばれました。東海道の脇街道で、本坂街道とも・・・・。東海道は、浜名湖を船で渡るのは大変危険だったので、この本坂街道が重宝がられました。

あまりの混雑ぶりに幕府も通行制限を度々したほどで、武家の奥方や姫君、女中衆はこの街道使い続けたそうです。そこで『姫街道』の愛称がついたそうです。

当時は、江戸の町を守るため五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)や脇街道に関所が設けられました。

『入り鉄砲に出女』江戸への鉄砲の持ち込み。人質の大名の奥さんや子供が、江戸から逃げ出すのを警戒して通行人を調べるために関所を設けたのでした。

関所の役目は、通行人を調べるだけでは無く、一揆や謀反の時の軍事拠点でもあったそうです。気賀の関所は、『姫街道』を監視するために1601年に幕府によって設けられ、箱根、今切(新居)の関所とともに江戸を守る重要な拠点でした。

気賀関所は、旗本の近藤家が代々歴任し、番頭が2名、平番が4~5名が交代で勤務していました。それは、明治2年の関所廃止まで続いたそうです。松並木の正面にりっぱな冠木門があります。

冠木門をくぐると、すぐ右手に本番所があります。本番所前には、刺股突棒袖絡などの捕物の道具が展示されています。

本番所には、番頭や平番の人形が置かれ、当時の様子を再現され、後ろの壁に立掛けてある弓矢・鉄砲が印象的です。

本番所の向かいには向番所があります。ここに、女改めの様子が等身大の人形で再現されています。女改めには、関所役人の母親や姥が担当していたそうです。

向番所の中には、牢屋や唐丸籠まであり、警察機能を有していた事が分かります。ちょっと、生々しい感じが・・・・。

当時は、関所破りは重罪で磔刑にされたそうです。でも実際は、関所の役人も承知で宿場ぐるみの関所破りが横行し、厳罰になる例も少なかったようです。気賀関所の裏には、『犬くぐり道』が有ります。

 

地元の人達が、一々関所を通らずに宿場に出入りできるように、作られたお目こぼしの裏道で、「この道は犬しか通らぬ」と言う事にしてたらしいです。清水次郎長の子分の『森の石松』も利用していたとか、いなかったとか・・・・

向番所の裏手には、『遠見番所』の櫓があります。ここは、自由に登る事ができます。本番所の向こう側には、『姫様館』があり、駕篭や宿札、道中手形などが展示されています。

 

 

 

 

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