気賀本陣前公園

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気賀町は、天正15年(1587)本多作左衛門によって気賀宿と定められました。慶長6年(16001)徳川家康によって関所が置かれると、東海道の新居の関と並んで、東海道本坂通<姫街道>(現在の愛知県豊川市御油から静岡県磐田市見付までの間)で最も重要な宿駅となりました。

この公園は、本陣の斜め前に建設したもので「本陣前公園」と名付けられました。本陣とは、江戸時代の宿場に置かれ、大名、公家、幕府役人などが休息や宿泊のために多く利用した家を呼んだもので、宿場の中でも中心になる場所にあり、普通の旅籠に比べると屋敷も大きく建物も立派でした。

本陣は中村家がつとめ、代々与大夫を襲名して明治になるまで栄えました。現在地の本陣前公園の場所には、河合家(武家)がありました。河合家は、領主、旗本気賀近藤家の家老で代官も勤めました。

本陣は、本寺前公園の東側に30m位行った所の北側にありました。

気賀関所は、東側に600m位行った所(気賀四つ角)にありました。

<馬頭観音の由来>
上町地域内にある文化財で石塔に彫られている「ようじょしょりつ」の文字と、その上に馬頭観音像が彫られ、領主近藤家の馬頭観音ではと言われています。

この馬頭観音は気賀近藤八代用恒公の寛政12年(1800)に建てられ、高さ約45cm、幅20cmの石塔で平成9年度に本陣前公園が新設されるのを機に犬くぐり道からこの公園に祀られることになりました。

国道362号線(姫街道)に面して祀られ、住民の崇敬を集めるようになりました。国道362をもじって弥勒路の馬頭観音として、往来する車と人の交通安全の守護神として祀られています。「ようじょしょりつ」は近藤家の名馬の名と伝えられています。

 

 

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