大乗山宝池院 真言宗 摩訶耶寺

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摩訶耶寺は真言宗に属する静岡県下最古の名刹の一つで、引佐町奥山の富幕の山中に在って真萱堂と呼ばれ、平安初期本町字志の千頭峯に移されたと伝えられています。

当時の遺物として昭和20年代に瓦塔と称する瓦製五重の塔高さ2メートル余が発掘されて、現在その実物は奈良博物館に陳列されています。

摩訶耶寺は古くから厄除けのお寺として 袋井の法多山・祝田の善明寺の観音様と 三姉妹観音として知られ三姉妹の長女が 摩訶耶寺の御本尊になります。

 

現在の本堂は江戸時代、寛永9年 (1632) に建造、入母屋造り5間4面、総ケヤキの巨財をもって造作されえおり、格天井には法橋関中の筆になる極彩色の花鳥が配されています。

更に同寺は平安末期約八百数十年前現在地に移遷され、その頃築造されたと見られる古庭園は平安末期から鎌倉初期築庭の典型的手法を遺していることが近年認知されて有名になりました。

日本の中世庭園を代表する庭園だと言われ、樹木の植裁を人工的にアレンジして自然の縮図を美的に再編成しようとする近世庭園に対して、大自然に囲まれたなかに精神的な別世界を構築しようとするのが中世庭園の特色です。

造形力の高い池の地割りや築山構造、石組群が美しく、蓬莱神仙の幽玄境に誘います。京都西芳寺(苔寺)の庭池に次ぐ古さの日本屈指の名庭として知られています。

北方にそびえる城山は、大福寺の古記録瑠璃山年禄残帳に記されている千頭峯城で、この城は南北朝の昔宗良親王を奉じて奮戦しました。

井伊氏の西方における南朝かた最大の拠点、千頭峯本城の跡です。守将は井伊氏一族の奥山朝藤といわれ南朝方の廷臣や浜名神戸庄庄官県氏、大江氏を始め勤王の将士数百騎で籠城しました。

北朝方の武将高師兼は大群を率いて3ヶ月間の攻撃を加え歴応2年10月30日落城しました。本城は、昭和15年に専門家の合同調査により鶴翼型の典型的な山城で、規模も大きく、当時の塹壕塁段砦井戸などはっきり残っており、山城跡としては、全国的にも代表的なものといわれています。

 

 

 

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