大天狗三尺坊の住処  秋葉山本宮秋葉神社

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秋葉山本宮秋葉神社は静岡県浜松市天竜区春野町にある神社です。火災が多く起こった日本において、古くから「火伏せの神」と呼ばれた火災除け防災の神様への信仰がありました。

その大本は古事記・日本書紀に登場する「カグツチの神」で、神生み神話でイザナギ、イザナミの間に生まれた火の神です。

このカグツチの神を祀る神社の系統は

大きく二つあって、ひとつは京都の愛宕山の愛宕神社を総本社とする愛宕信仰。もうひとつは静岡県浜松市の秋葉山(あきはさん)秋葉神社(秋葉寺)の秋葉信仰の系統です。

愛宕山と秋葉山はどちらも山岳信仰と修験道の霊場であったことから、愛宕の神も秋葉の神も神通力を発揮する天狗を従えた権現様とされ、またこの二つの山を住処とする大天狗が知られるようになりました。

またこのようなことから、そのほかの系統の天狗も火伏せの神として祀られることになったようです。

秋葉山の大天狗、三尺坊

秋葉山を奈良時代の718年に開いたのは、東大寺の大仏造立の責任者であり、やはり天狗の山である高尾山薬王院も開いた行基です。

修験道の開祖と言われる役小角とともに、この行基は各地で寺や道場を開いたことから、天狗と縁の深い人物であると言えます。ちなみに役小角と行基の年齢は34歳違いで(役小角が年上)ほぼ同時代の人です。

行基の開山から時代は下って平安時代の初め、三尺坊という信州生まれの修験者が越前の蔵王権現堂にわずか4歳から修行に出て、27歳のときに不動明王三昧の秘法という難行を修して大願を成就、空を飛び火災盗難を除くという神通力を得ました。

その姿は、迦楼羅天(かるらてん=ガルーダ/インド神話の鳥の顔と人間の身体、翼があり空を飛行する神)に変身したと言います。また、飯綱権現と同じく火焔を背に、白狐に乗って手には剣と索(綱)を持つ烏天狗の姿で表されています。

三尺坊は白狐に乗って諸国を巡り、809年に秋葉山に降り立ちました。これによって三尺坊は「秋葉三尺坊大権現」となり、また秋葉山の大天狗として広く知られるようになります。

江戸時代には火伏せの神として秋葉信仰が盛んに

秋葉信仰は、行基が開いた大登山秋葉寺(しゅうようじ)に秋葉三尺坊大権現を祀ったことから始まります。この秋葉寺から全国に秋葉社が勧請され、火伏せの神様として日本中に広まりました。

江戸時代初めには寺内の内部対立から幕府の裁定によって曹洞宗の寺院である可睡斎(かすいさい)の末寺になりますが、全国各地に秋葉講という秋葉三尺坊大権現を信仰する講(相互扶助の民間の信仰組織)が組織されて、遠州秋葉参りが盛んになりました。

この秋葉講による秋葉参りは、例えば江戸からは浜松が遠く費用もかかったことから、講に参加している人がお金を積み立て、代表者が秋葉寺に参詣し火難除けを祈願したというものです。

秋葉講は全国に3万もあったと言いますから、いかに江戸時代の人々が火災を恐れていた証しということなのでしょう。

江戸時代まで秋葉寺と秋葉神社は一体でした

明治になって政府の廃仏毀釈令の影響から秋葉寺は一時廃寺となりましたが後に再建されました。

現在、秋葉三尺坊大権現を祀っている寺社は秋葉寺のほか曹洞宗の可睡斎で、秋葉神社本宮と下社はカグツチの神を祭神としています。

1869年(明治2年)に東京で大火事があり、

明治天皇は焼け野原となった現在のJR秋葉原駅の付近に「鎮火社」という社を置きました。

庶民はこの鎮火社を江戸時代に盛んだった秋葉信仰の秋葉三尺坊大権現を祀ったものと勘違いして、「秋葉(あきは)さん」と親しく呼び、火災除けの緩衝地とされたこの辺りを「秋葉(あきは)の原」と呼びました。

そこからこの辺りは、「秋葉原(あきはばら)」という地名になったということです。区別して「あきばはら」ではなく「あきはばら」と読む理由はここからなんでしょうか?。

 

 

 

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