富士山本宮浅間大社

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富士山麓の浅間神社は、富士山の噴火を鎮めるために富士山を神(浅間神または浅間大神)として祀ったものであり、富士山本宮浅間大社は最も早く成立したものとされています。

浅間大社は、全国に多数ある浅間神社の総本宮となっています。「富士本宮浅間社記」には、大同元年(806)に山宮浅間神社の地から現在地に移転されたと記されています。

浅間大社は富士山溶岩流の末端に位置しており、境内には、溶岩の間から湧出した地下水が池となった湧玉池(国特別天然記念物)があります。

浅間大社は、噴火を水によって鎮める考え方から、湧玉池のほとりに置かれたと考えられています。

登拝が盛んになるにつれて、村山の興法寺とともに大宮・村山口登拝道の起点となり、周辺に宿坊が成立したと考えられています。

「絹本著色富士曼荼羅図」には、湧玉池で垢離をとり、富士山に登る道者の姿が描かれています。幕府の庇護を受け、徳川家康の寄進により慶長11年(1606)現在の社殿が造営されました。

寛文10年(1670)の「境内図写」には、浅間造りの本殿や楼門等の社殿、堂社、湧玉池(上池)、鏡池などが見えます。

浅間大社は、慶長14年(1609)には山頂部の散銭取得の優先権を得たとされ、安永8年(1779)には幕府の裁許により八合目以上の支配権が認められました。

八合目以上の土地は、明治時代に国有地化されましたが、昭和49年(1974)の最高裁判決に基づき、平成16年(2004)浅間大社に譲渡(返還)されました。

本殿

本殿は「浅間造(せんげんづくり)」と呼ばれる二層楼閣造りで棟高45尺(13.6m) 下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、上層は三間社流造で共に桧皮葺。明治40年5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定され、以後国指定重要文化財として特別の保護を受けています。

 

拝殿・幣殿・透塀

拝殿は桁行5間・梁間3間で、正面が入母屋造、背面が切妻造、屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付いている。

三方に縁を巡らせ、背面は幣殿に接続しています。幣殿は本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行3間・梁間3間の両下造、屋根は檜皮葺、北面には本殿の屋根の端が露出しています。

透塀は本殿周辺を囲む1棟と、その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を囲む1棟の、計2棟で、総延長36間に及ぶ。

楼門

三間一戸、重層入母屋造で、屋根は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついています。楼門の左右には随身像が安置されている。楼門に掲げる扁額は聖護院入道盈仁親王の御筆で文政2年に制作されたものと伝わってます。

「楼門左右に安置されている随身像」
慶長19年(1614)2月に建立。背銘には、左側の像「甲州河内下山住番匠 石川清助作」、右側の像「大工 山城國上原住櫻井三蔵作」と記されています。

湧玉池

湧玉池は、富士山に降った雨や雪が地下水となり、富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ、溶岩流末端で湧出して池になったものです。禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池のみを湧玉池、下池から下流を御手洗川と呼びました。登山者(道者)が湧玉池の水で心身を清めた後、山中へ向うという富士山信仰と関連の深い池です。

鉾立石

楼門前の石段に、鉾立石が置かれている。 明治の初めまで行われていた「山宮御神幸」の際に、神の宿った鉾を立てて休めるために使用された自然石です。

 

 

 

 

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