日蓮宗 龍華寺

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寛文10年(1670)、身延山第21世の日遠上人の弟子である日近(にちごん)大僧都開創による日蓮宗の寺院です。

山号は、観富山、本尊は、釈迦如来です。東山天皇(113代、1675-1710)の尊崇を受け、この寺を祈願所として定められ、寺院の命名をされました。

紀州徳川家と水戸徳川家などの帰依を受け、寺勢は隆盛を極め、歴史小説「滝口入道」の作家、高山樗牛(ちょぎゅう)もこの地に墓があります.

庭園(観富園)は、須弥山式という造園方式で造られ、国の名勝に指定されています。富士山を望められる地でありながら、庭園そのものが池を駿河湾、本堂の屋根を富士山に見立てて構成されているそうです。

また、大蘇鉄は我が国最大のもので、雄株は推定樹齢1100年、雌株は推定樹齢800年で国の天然記念物に認定されています。大サボテンは、推定300年で根本は木化しており、蘇鉄とともに中国の上海から移植されたものと伝えられています。

開祖日近上人、福井県小浜市で生まれ身延山第二十一世日遠上人の弟子になり静岡貞松蓮永寺第十一世ならびに甲州身延大野山本遠寺第四世を勤めた人です。

養珠婦人お萬の方猶子として、有ぐうを受け養珠婦人お萬の方、没日丞応二年八月二十一日葬儀を済ませると、当山隠居する事を申し出て居ります。

日近上人は富士山が非常に好きで常に霊山富士の研究をして居られましたが、この地から観る富士の姿が最も荘厳であるとして、五十三歳の時本遠寺からこゝに移り、自ら大野別院と称して居られました。日近上人は享年八十二。

東山天皇は日近上人を非常に崇敬遊ばされ、この寺を皇室の祈願寺と定めて、観富山龍華寺と御命名になりました。当時御下賜の勅額、御法衣、御鏡等今でも寺宝として残って居ります。

本堂(当時御祈願所)とこの庭(観富園)は紀伊頼宣、水戸頼房二卿の寄進で紀州家庭師山平道勺等当時天下の名匠を集め、十数年の年月を費して完成したものです。

本堂正面のお釈迦様の坐像は開祖日近上人手造りであります。造営の施主紀州二代光貞の正室安之宮で、安之宮母親伏見院法号天真院妙仁日雅大姉の菩堤を弔う為、寛文元年七月開眼されたものです。

 

 

 

祖師像は、伏見院御息女安宮、法号円光院栄寿日仙大姉宝永四年四月二十六日逝去と裏書されているようです。

上行菩薩像は、日近四十二歳、鎌倉此企ヶ谷の塔中昭永院にて病気療養中手造りされたものといわれてます。

 

 

 

 

 

 

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