関所稲荷

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聖鑑国師(無文元選禅師・後醍醐天皇の皇子)の法を直伝。寺紋は十六菊、伊勢神宮信仰に関係があったと思われます。

創建時は、日ケ崎にあったが宝永4年(1707)の大地震後、新居宿のまちづくりと共に、現在地に再建されました。

明治になって要津寺と光珠庵が当寺に合寺されて、境内には、子安観音、関所稲荷が有ります。

関所稲荷大明神は、天和2年壬戌(みずのえいぬ)八月八日、朝鮮の使節来朝の際、新居関所を通過するにあたり幕府より、旗本の土屋主税が御加番役を命ぜられた。

当時朝鮮との交誼深く、その使節団来朝の儀は盛大を極めたるものであった。 その時、土屋主税が要津寺鎮守稲荷の霊夢により、家老天野平右衛門・尾川杢右衛門・尾川勘右衛門に命じて、関所北屋敷に社宇を建立して篤く信仰しました。

関所稲荷の再興と共に、昔関所を往来する旅人や地元の漁師、住民達が路銀や身体を清めて、道中の安全、商売繁盛、海上の安全、身体健康,心願の成就を願ったとされているお清めの場所を、江戸時代をしのび復元しました。

旗本土屋主税(ちから)は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りの際、高提灯の明かりで討ち入りを助けたという忠臣蔵に登場してくる人物です。

 

 

 

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