賤機山古墳(しずはたやまこふん)

スポンサーリンク
Pocket

 

所在地:静岡県静岡市葵区宮ケ崎町
見学:見学無料
アクセス:
<バス>駿府浪漫バスで「赤鳥居」または「浅間神社」下車、徒歩5分

賤機山古墳(しずはたやまこふん)は、賤機山古墳(しずはたやまこふん)は、静岡平野の中心部に突き出た賤機山の南端に造られています。

葬られた人物は特定できませんが、遺物の検討などから6世紀後半にこの地方を治めた有力な豪族の墓と考えられています。

賤機山古墳は、昭和24年(1949)に後藤守一・斎藤忠両博士により初めて考古学的調査が行なわれました。

その後、昭和28年(1953)に古墳時代後期(6世紀)の代表例として国の指定史跡になりました。

平成5年度から8年度まで保存・修復工事が行われたので、現在は復元された築造当時の姿を見ることができます。

賤機山古墳は、古くからその存在が知られ、江戸時代の文献にも発見の経緯等が記されています。

『駿河国志』(天明三年)、『駿河記』(文政元年)などがその主なもので、「明和年間に古墳の上の大木が大風により倒れ、根の下に穴が開いたため中に下りたところ石積みの部屋(=石室)があり、中に石櫃(=石棺)が置かれている」ことが記載されています。

昭和24年に、後藤守一・斎藤忠両博士により初めて考古学的調査が行われました。

その結果、古墳の形は直径約32m、高さ約7mと推定される円墳で、内部には巨石を積み上げて造られた巨大な横穴式石室(よこあなしきせきしつ)があり、石室内には大の刳抜式家形石棺(くりぬきしきいえがたせっかん)が置かれていることが明らかになりました。

石棺内は既に盗掘により荒らされ、人骨や副葬品(ふくそうひん)はほとんど残っていませんでしたが、石棺のまわりからは土器や武器、武具、馬具など質・量ともに豊富な副葬品が出土しました。

遺物の検討などから、古墳は6世紀代の当地方の最有力豪族の墓であると考えられています。

この調査成果をもとに、賤機山古墳の重要性が評価され、昭和28年には国の史跡に指定されました。

現在古墳は保存整備がおこなわれ、古墳前部に解説板・野外模型が置かれています。石室内には入れませんが入口より内部を覗くことが可能となっています。

出土遺物は、静岡浅間神社境内にある静岡市文化財資料館に常時展示してあります。

横穴式石室

賤機山古墳の主体部(しゅたいぶ)は巨石を積み上げて造られた横穴式石室で、現在のところ静岡県内最大の規模を誇ります。

石室は遺体を埋葬する主室である「玄室(げんしつ)」と玄室へ至る通路である「羨道(せんどう)」(天井石が載る部分)・「前庭(ぜんてい)」(羨道より外側)とで構成され、石室の端は墳丘の裾にある「外護列石(がいごれっせき)」につながります。

玄室奥壁(おくへき)から外護列石までの長さは18.2mです。石室は、羨道の幅が玄室の幅に比べて狭い羽子板のような平面形で、また、玄室の高さが羨道の高さの約2倍であるなど、近畿地方に典型的に見られる大型石室との共通性が認められます。

石室の床面は、玄室から前庭部に向かって緩く傾斜し、玄室から羨道までの範囲には拳大の川原石が敷き詰められていました。

また、石室は、もともと500個あまりの人頭大の川原石により石室の中と外を区切るように塞がれていました。現在はそれらの石は崩れ落ち、地面下に埋まっています。

家形石棺

玄室内には遺体を納めた石棺が置かれています。石棺は伊豆産出の凝灰岩を刳り抜いて造られ、家の屋根の形をした蓋と箱型の身の部分からなり、全体の形から「家形石棺」と呼ばれています。

石棺は前後の長さが2.9mを測る大型のもので、蓋には四角形の突起が左右に3対(6個)と1対(2個)削り出されています。

また、蓋と身の合わせ目には、赤色のベンガラ(鉄の酸化物)が塗られていました。

出土遺物

過去の盗掘により、石棺は側面に穴をあけて内部が荒らされ、棺内には金銅製冠帽(こんどうせいかんぼう)の破片やガラス玉などが僅かに数点残されていました。

しかし、石棺の周囲からは土器(須恵器・土師器)、武具(挂甲)、武器(大刀・鉄鏃など)、装身具(金銅製冠帽・金環など)、馬具(金銅製歩揺付飾金具・鞍金具など)などのほか、鉄製工具・六鈴鏡など、質・量ともに豊富な遺物が出土しました。

遺物の年代は、6世紀後半から7世紀前半と長期に及び、このことから石室内への埋葬行為は複数回おこなわれた可能性が認められます。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


コメントは承認待ちです。表示されるまでしばらく時間がかかるかもしれません。