髪の塚  鵜田寺(うだじ)

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島田市最古の寺である鵜田寺は、天平宝字2年(758年)大井川から薬師如来を拾い安置したのが始まりと云われ、眼病に利くお薬師さんとして信仰があり、寅の八の日が御開帳と定められており、拝観できるのは年に1.2回しかありません。

一木寄木造で藤原末期の特徴を持っていることから、昭和33年(1958年)4月15日に静岡県文化財に指定されました。

髪の塚

鵜田寺の向かいに「島田髷」の考案者と伝わる「虎御前の墓」が残されていることから、昭和8年(1933年)9月19日に虎御前感謝祭が行われ、以来、毎年9月の第三日曜日に「島田髷まつり」として開催されてきました。

天下の奇祭「帯祭り」で知られる東海道島田宿は、また「島田髷」の発祥の地としても知られている。島田髷の考案者については諸説があり、定かではないが、もっとも有名な話は大磯の遊女「虎御前」が考案したという説である。

市内の女性が様々な型の島田髷を結い、揃いの浴衣で奉納踊りをしながら市内を歩く「島田髷道中」が行われ、「髪の塚」では髪供養感謝祭が催されます。

虎御前 (とらごぜん)

安元元年(1175年)-嘉禎4年(1238年)曾我兄弟の仇討ちで有名な兄の十郎祐成の恋人として有名。お虎さん、虎女(とらじょ)とも呼ばれる他、虎御前と書いて「とらごぜ」と読むこともあります。

島田市出身で大磯の遊女をしていた虎御前は、17歳の時に20歳の十郎祐成と知り合い恋に落ちます。

建久4年(1193年)5月28日に頼朝が催した富士の裾野での狩りに夜陰に乗じて忍び込んだ兄弟は、父河津三郎(伊東祐泰)の敵である工藤祐経を討ち取りますが、兄十郎(21歳)が仁田四郎忠常に討たれてしまいます。

弟の五郎(19歳)は、頼朝の館に押し入ったところを取り押さえられ、鎌倉に護送途中の鷹ヶ丘で祐経の子、犬房丸の願いにより首をはねられました。

兄弟が亡くなると、彼らの母を曽我の里に訪ねたあと箱根に登り箱根権現の別当の手により出家します。

その後は亡き夫(十郎)の供養のため、大磯にある高麗寺山の北側の山下に庵を結び菩薩地蔵を安置し供養に明け暮れる日々を過ごしたことが、平塚市高麗寺の末寺である荘巌寺に伝わる「荘巌寺虎御前縁起」に記されています。

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