与謝野晶子や若山牧水に愛された 畑毛温泉 大仙家

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静岡県伊豆の国市にあり、与謝野晶子や若山牧水などにも愛された名湯である「畑毛温泉」。そこにある「大仙家」の特徴は「ぬる湯」で、長時間入って温泉を満喫できます。

狩野川の流域で湧く、湯治場的な雰囲気を残している畑毛温泉です。その歴史は古く、源頼朝が軍馬の療養を行ったと伝承されてます。

江戸時代には湯塚の湯という名前で、腫れ物の効能が広く知られて、地元の人々の湯治場として利用され、寛延年間に湯敷小屋で怪我人湯療を行った記録が残っていて、200年以上の歴史を誇っています。

与謝野晶子が畑毛温泉を訪れ「湯口より遠く引かれて温泉は 女の熱を失ひしかな」の句を残しています。上林暁が畑毛温泉を訪れた際の様子を『浴泉記』に記しています。

三島市の南東、箱根南西麓に位置し、函南町と伊豆の国市韮山にまたがる畑毛温泉は、1962年(昭和37年)3月10日 – 厚生省告示第65号により、奈古谷温泉とともに国民保養温泉地に指定されました。

温泉の泉質はラドン含有弱アルカリ性単純泉。温泉の効能はリウマチ、糖尿病、神経痛、高血圧症、消化器機能障害、運動機器障害などです。

歌人の若山牧水が畑毛温泉を称えた歌「長湯して抱かぬこの湯のぬるき湯にひたりて安き心なりけり」と残していたり、与謝野晶子も「湯口より遠く引かれて温泉は、女の熱を失ひしかな」という句を残すなど、有名な歌人にも親しまれていたようです。

大正期から昭和初期にかけて、作家 武者小路実篤の日向「新しき村」に代表される運動が全国各地で行われました。

畑毛温泉に於いても、吉野作造博士を中心に総面積約2万坪に及ぶ「理想郷構想」が実施されました。構想実現の為、この理想郷に宿泊施設が必要となり、新派の名優「河合武雄」が吉野博士と同郷の劇作家 真山青果の紹介を受け、大正十年に開業した「榮家旅館」が「大仙家」の始まりだそうです。

河合武雄(本名 内山武次郎)は明治10年3月、歌舞伎俳優 5代目大谷馬十の次男として東京築地に生まれ、明治26年7月(17歳)、横浜鶯座の山口定雄一座で初舞台を踏にました。

河合武雄は天性の容貌と美声に恵まれ立女形の名優として活躍し、昭和17年3月21日、享年66歳ここ畑毛の地で亡くなった。当時の演劇界において最も舞台映えのする女形を創り上げたと言われ、絶大な人気を博しました。

華やかな絢爛さに加え、匂うばかりの妖艶さを備えた女形は、あでやかな緋牡丹の花に例えられ、新派の歴史の中に現在もなお燦然とその名を残しています。

美人画の大家 鏑木清方は描く女の絵姿に「河合という女形から大きな影響を受けた」と言わせたほどです。、華のある俳優でした。酒乱の芸妓役では他に追随を許さない独自の妙味を開いたと評されています。

 

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