リモート時代の移住先No.1静岡の魅力とそのわけ

静岡県が1位※に輝きました。移住、テレワーク、Uターン・Iターンなど、「静岡に住むこと」を選択するカタチはひと様々。リモート時代になぜ静岡が選ばれ、愛されるのか? その理由を、調べてみました。

駿府城下町の面影を感じさせる静岡市

駿府城を中心に、今川氏が230年間治め、つくり上げた、そして家康がそれを受け継いだ駿府、今の静岡市。城下町らしさが残りますが、その1つが町名です。大工町、紺屋町、呉服町、両替町……と職業や商売を表す町名がついています。これは、すぐに集まれて効率が良いと集団で職人街、商人街をつくっていた近世城下町の特徴です。静岡市は変わらず近世城下町の町名がが残っているということはとても貴重です。

町名が残っていることで、大工町には大工が住んでいたんだ、呉服町には呉服屋さんが多かったんだと想像し、歴史をたどるきっかけになる。家康がつくった駿府96カ町を訪ね歩いている人がいます。伝馬町小学校はまさに昔の町名がそのまま学校名についている。子どもたちにとっても歴史が身近に感じられます。鷹匠は、昔は鷹匠町と言いましたが、その名の通り、鷹を育て、訓練する鷹匠たちが住んでいました。家康の一番の趣味である鷹狩を支える集団が住んでいた町ということになります。

家康がこの駿府を隠居の地に選んだのには5つの理由

1つは、今川氏の人質として幼少時代を過ごした思い出の地

竹千代少年は雪斎から教育を受けるなどして過ごし、人質と言えど悪い思い出はあまりなかったんです。

2つ目、冬が暖かいこと。隠居生活に適してる

今も他県の人からよく言われますが、雪の降らない静岡の冬は本当に過ごしやすいです。

3つ目は、ちょっと不思議なことに

米が美味しいという記述があるんです。現代では、米と言えば新潟や秋田のイメージですが、当時の駿府の米はおいしかったみたいです。

4つ目は富士山がある環境

家康は富士山が大好きでした。大御所として駿府に入ってきた頃、大坂の豊臣との一戦を想定していた。もし大坂が攻めてきた時には大井川・安倍川があることでこの駿府で守れると考えていたんです。

5つ目は、大名たちが将軍に挨拶に江戸に行く通過の地

西の大名たちがこの駿府なら遠回りせずに済むと考えたようです。アクセスの良さは実感できます。東京にも、名古屋や大阪にも、静岡市に住んでいると同じくらいの時間で行けます。

家康は大好きな鷹狩に出掛けやすかったことも良かったのだと思います。富士山が見えて、鷹狩にもすぐ行けて、食べ物もおいしくて、冬暖かくて、自由に住む場所を選ぶとなったらここしかなかったのでしょう。

歴史好きにはたまらない街です。家康は、自分の健康をすごく考えて、薬草園を造り、薬草を育て調合までしていました。静岡高校前の長谷通りに跡地の標識があります。久能山東照宮の博物館には、薬研やガラス瓶など調合の道具が重要文化財として保存されています。瓶の中には家康が調合したとされる薬も残っています。

臨済寺をはじめ、家康ゆかりのお寺や史跡などがいっぱいあります。全国的に見ても良い城跡があります。丸子城は今川氏のお城ですが、武田氏が手を入れた城。土塁などがそのまま残っています。。市外では旧金谷町の諏訪原城、三島の山中城、沼津の興国寺城など。静岡市からも気軽に行けます。

「争い事が嫌いでのんびり穏やか」、この辺りが静岡の県民性のひとつかもしれません。「静岡の代官山」とも呼ばれている「鷹匠」地域。レベルの高いフレンチやイタリアンなどが多数軒を並べています。東京や大阪辺りで修業をし、故郷でお店を開いている方が多いです。

海や山の幸など食材も日本有数、ミシュランで星を獲得できる様なお店も何軒かあります。他の業種でも全国トップレベルのお店や企業が実は山ほどあります。穏やかで、身の丈で、お互いを傷つけることなく過ごす。そういう県民性が、とっても心地良く感じます。

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