山頂の信仰遺跡
富士山山頂には、富士山本宮浅間大社奥宮・浅間大社東北奥宮(久須志神社)や金明水・銀明水等の宗教施設があり、地形のなかには内院(火口)や安河原(賽の河原)等の宗教的な名称がつけられた所がある。
また、火口壁にある剣ヶ峯や白山岳、久須志岳等の峰々は「八葉」や「八峰」と総称され、かつて山頂部は曼荼羅世界に擬えて考えられていた。
曼荼羅とは簡単にいうと、密教の教えである仏の世界観を絵にしたものです。
登山者は、山頂で「御来迎(仏の来迎と見なされたブロッケン現象)」または「御来光(日の出)」を拝んだり、内院に鎮座する神仏を拝んで散銭(賽銭)をしたり、山頂部の宗教施設等を巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)」を行った。
明治7年(1874)、富士山の廃仏毀釈が行われ、山中の仏像は撤去され、仏教的地名は神道的なものへ改称された。
また、大宮・村山口山頂の大日堂は浅間神社(現富士山本宮浅間大社)奥宮、吉田口・須走口山頂の薬師堂は浅間神社(現富士山本宮浅間大社)東北奥宮となった。
浅間神社(現富士山本宮浅間大社)奥宮
表口(富士宮口)から上りつめたところの山頂に鎮座。御祭神は浅間大神(木花之佐久夜毘売命)を主祭神として祀る。
元は富士山興法寺(こうほうじ)を形成する大日堂であったが、神仏分離令により仏像を取り除かれ跡地を浅間大社奥宮として管理される。
浅間神社(現富士山本宮浅間大社)東北奥宮
浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命(おおなむち)、少彦名命(すくなびこなのみこと)を祀る。須走口登山道、吉田口登山道頂上にある。
室町時代以降、頂上の一つである久須志岳(旧薬師嶽)に薬師堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であった。
薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久須志神社と改称した。
山頂の鳥居
表口(富士宮口)から上りつめたところの山頂に鎮座。御祭神は浅間大神(木花之佐久夜毘売命)を主祭神として祀る。
元は富士山興法寺(こうほうじ)を形成する大日堂であったが、神仏分離令により仏像を取り除かれ跡地を浅間大社奥宮として管理される。
山頂の石仏群
山頂部には、明治初めの廃仏毀釈後に破壊された仏像が多数残されている。
三島岳の麓、かつて経塚が発見された付近に、10体の石像が安置されている。
いずれも頭部が欠損している。