資産には、小佐野家住宅は1861年に再建された富士講最盛期における平面構成を現在に伝える貴重な事例である。御師住宅の建造物及びその敷地の意匠・構造を表す代表的・典型的な事例である。
御師は、夏季に富士講信者が登拝を行うのに当たり、宿泊・食事の準備をはじめ一切の世話を行うとともに、日常は富士山信仰の布教活動及び祈祷を行うことを生業とした。
富士山の御師を代表する吉田の御師は、吉田口登山道の起点となる北口本宮冨士浅間神社の門前の地域において、南北方向の道路の左右に御師住宅が建ち並ぶ大規模な集落を形成した。
御師の屋敷は間口が狭く、奥に長い短冊状の地割を持つ。表通りから延びる導入路の途上には敷地内を流れる水路があり、その奥に住宅兼宿坊の機能を持つ主屋がある。
小佐野家住宅では、まず、先達に導かれて到着した富士講信者たちは、導入路を横切る水路で手足を清めた。
その後に主屋へ到着すると、御師の導きにより、先達は式台玄関から、その他の富士講信者たちは庭に面する縁側から、それぞれ主屋の内部へと入った。
式台玄関から奥へと客室が続き、主屋の最奥部には神殿が設けられている。
御師と富士講信者たちは神殿の前に集まって拝礼の儀を行い、登拝の準 備を行った。
小佐野家住宅の敷地内に残る門柱及び石燈籠は、小佐野家に関係の深い富士講から寄進されたものである。
小佐野家住宅が新築された1861年は、御師住宅の屋敷の地割及び建築の配置・構造等の様式が確立した頃に当たる。
旧外川家住宅が遺存状況の良好な最古の御師住宅の貴重な事例であるのに対し、小佐野家住宅は富士講最盛期における御師住宅の典型的な事例である。