第59番札所 海蔵寺

古くは仲木地区にあったと云われる天台宗の寺院でしたが、天文年中(1532~1555年)に現在地に遷移し英仲亀和尚を開山として臨済宗建長寺派に改宗しました。

明治7年(1874年)3月20日、フランスのマルセーユ港が母校の郵便船ニール号は、香港から横浜へ航海中、風浪に遭い入間沖で座礁転覆、乗組員89名のうち生存者わずか4名という多数の犠牲者を出しました。海蔵寺の境内には、この海難事故の犠牲者の招魂碑(十字架塔)が建立されています。

参道入り口に立派な門柱を構え、山門はがっしりとした切妻屋根桟瓦葺の四脚門で、見上げに寺号扁額を掲げてます。本堂は寄棟造桟瓦葺流れ向拝。

参道入り口
参道
 山門
寺号扁額
向拝
堂内山号扁額
山号瑞雲山(ずいうんさん)
寺院名海蔵寺(かいぞうじ)
宗派臨済宗(建長寺派)
本尊弥勒菩薩
真言おん まいたれいや そわか
住所賀茂郡南伊豆町入間949

第60番札所 善福寺

幾度かの被災の末、詳細な記録は不明となっていますが、1628(寛永5)年に入寂した了快を中興の祖としています。 天保年間(1830~1844年)に本堂・庫裏が再建されました。

妻良(めら)という地名について「三嶋大神の后神にちなむといい、妻良は三嶋大神の「妻」のこと。妻良は妻浦ともいい、「めうら」が「めら」となった可能性もある。」と云う。伊豆横道三十三観音霊場第31番、伊豆国(下田南伊豆)七福神(福禄寿)の札所を兼務され、3種の御朱印を授与されています。

石段の参道の右には胎蔵大日如来のお種子「ア」、左には不動明王のお種子「カーン」が刻まれています。山門は切妻屋根銅板葺の四脚門、本堂は入母屋造銅板葺で向拝柱はなく、向拝正面は幾何学紋様の開戸と格狭間&花頭窓を配した脇戸。見上げには山号扁額を掲げています。

石段の参道
山門
向拝
山号扁額
山号龍燈山(りゅうとうさん)
寺院名善福寺(ぜんぷくじ)
宗派真言宗(高野山真言宗)
本尊大日如来
真言おん あびらうんけん ばざら だとばん
住所賀茂郡南伊豆町妻良809

第61番札所 法泉寺

情報の少ない札所のひつとで開創も不明ですが、寛文二年(1662年)最福寺の宝山順和尚が(再興)開基し、最福寺三世の僧・傳心を開山とあります。かつては真言宗の小庵でした。1662(寛文2)年に最福寺の宝山順和尚が再興して曹洞宗の寺院となりました。

「かつては真言宗の小庵でした。 1662(寛文2)年に最福寺の宝山順和尚が再興して曹洞宗の寺院となりました。」とあり、御本尊が大日如来であることの説明がつきます。

寺号標兼札所標が建っています。その横に「新四國八(?)拾番 観音寺」の札所標がありましたが詳細不明。本堂は入母屋造桟瓦葺で向拝柱はなく、庫裡を付設しています。向拝正面サッシュ扉。山号寺号扁額を掲げています

参道入口
六地蔵
向拝
山号寺号扁額
山号臥龍山(がりゅうさん)
寺院名法泉寺(ほうせんじ)
宗派曹洞宗
本尊大日如来
真言おん あびらうんけん ばざら だとばん
住所賀茂郡南伊豆町妻良1213

第62番札所 法伝寺

当初は真言宗の寺院で、別の地にありました。 寛永年中(1624~1644年)に現在地に遷し、臨済宗となりました。

開創当初は真言宗で大窪というところにありました。寛永年中(1624-1644年)松屋祝公和尚が現在地に遷し、臨済宗建長寺派に改めました。

参道入口右手に札所標、左手には六地蔵。山内正面に入母屋造銅板葺の本堂。向拝柱はなく、全面サッシ扉の堂宇。

参道入口
六地蔵
向拝
扁額
山号石屏山(せきへきざん)
寺院名法伝寺(ほうでんじ)
宗派臨済宗(建長寺派)
本尊聖観世音菩薩
真言おん あろりきゃ そわか
住所賀茂郡南伊豆町二條458

第63番札所 保春寺

草創当時は真言宗の寺院でした。 創立した山本長門守道政が1507(永正4)年に没していることから、開山は僧・法山(天文十一年(1542年)寂)です。草創当時は真言宗で、慶安二年(1649年)太梅寺四世法山秀禅和尚により曹洞宗に改宗されたと伝わります。 後に曹洞宗に改宗されました。

「不許葷酒入山門」の石標。数段の石段の先に切妻屋根桟瓦葺四脚門の均整のとれた山門。入母屋造桟瓦葺で大棟に「五峰山」。隅棟の貼り出しが大きく存在感ある堂宇です。向拝柱はなく格子扉の身舎。見上げに扁額はなく、桐紋入りの蟇股が置かれています。

参道入口
山門
 六地蔵
鐘楼と天満宮
向拝・桐紋入りの蟇股
堂内山号扁額
山号五峰山(ごほうざん)
寺院名保春寺(ほしゅんじ)
宗派曹洞宗
本尊虚空蔵菩薩
真言のうぼう あきゃしゃきゃらばや おんあり きゃ まりぼり そわか
住所賀茂郡南伊豆町加納177-1

第64番札所 慈雲寺

南伊豆の名湯、下賀茂温泉にある札所です。当初は慈雲院という真言宗の寺院でした。 一時衰微していましたが、再興され現在に至ります。

下賀茂の金嶽山 慈雲寺の開創縁起には「永禄年間(1558-1569年)に土地の住民が河原の砂礫のなかに湯舟を作り、自然に湧出する温泉に浸かっていた。」とあり、当山は温泉と深いかかわりをもつことがわかります。

参道入口に伊豆八十八ヶ所&伊豆横道三十三観音の札所標。背後に山を背負う寺院です。手前に六地蔵、正面に本堂、左手に水子地蔵尊のお堂があります。本堂は寄棟造銅板葺で小規模な流れ向拝を置いています。向拝見上げに山号扁額。

参道入口
六地蔵
向拝
山号扁額
山号金嶽山(きんがくさん)
寺院名慈雲寺(じうんじ)
宗派曹洞宗
本尊釈迦如来
真言のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
住所賀茂郡南伊豆町下賀茂433

第65番札所 最福寺

下賀茂温泉の北側、上賀茂地区にある札所寺院です。1500(明応9)年に草創された律院で、当初は普済庵という名称でした。

明応九年(1500年)泉屋鉄眼の開基により草創された律院で、当初は普済庵と号しました。
のちに、田村将軍の末孫・田村正広が来山し一宇を建立して田村将軍を祀り、信仰厚かった観音像を本尊として奉安し中興開基、大安寺三世の祖庵孝孫を中興開山として律を改め曹洞宗に改宗し、寺号も最福寺と改めて現在に至ります。

右手に寺号標、左手に「不許葷酒入山門」の戒壇石という禅刹らしい構え。山門は切妻屋根桟瓦葺の四脚門?で、山号扁額を掲げています。本堂は寄棟造桟瓦葺で向拝柱のないつくり。
向拝見上げに寺号扁額を掲げています。

冠木門
参道
 山門
山号扁額
向拝
扁額
山号田村山(たむらさん)
寺院名最福寺(さいふくじ)
宗派曹洞宗
本尊観世音菩薩
真言おん あろりきゃ そわか
住所賀茂郡南伊豆町上賀茂301

第66番札所 岩殿寺

貞元二年(976年)に僧継雲によって創建。文永十年(1273年)阿闍梨丁快によって中興され、御本尊薬師如来像(ないし御前立)は丁快の作と伝わります。

往時は大寺と伝わり北條氏の庇護を受けて隆盛しましたが、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原討伐の際、戦場となり炎上、北條氏の庇護も失い衰退の途をたどりました。

寺号標も山門もない参道。正面に寄棟造桟瓦造の堂宇と左手に宝形造のお堂があり、左手お堂に寺号扁額が掲げられている。

参道入口
山内
お堂
寺号扁額

岩殿寺窯は、1970年(昭和45年)に洋画家 高岡徳太郎(1902~1991)が、南伊豆にある真言宗岩殿寺に築窯しました。

岩殿寺窯
山号波次磯山(はじきさん)
寺院名岩殿寺(がんでんじ)
宗派真言宗
本尊薬師如来
真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住所賀茂郡南伊豆町岩殿120

第67番札所 安楽寺

かつては真言宗で、法境山祥安寺という寺院でした。 1555(弘治元)年に曹洞宗(第52番札所)四世花翁宗菊を開山として曹洞宗に改宗し、今に至ります。

かつては真言宗で、法境山祥安寺と号しました。弘治元年(1555年)に現地に移転し、曹洞院(第52番札所)四世の花翁宗菊を(中興)開山として曹洞宗に改めいまに至ります。

静岡県道119号下田南伊豆線沿いにあります。変則の冠木門。その先右手に六地蔵。正面に参道階段と本堂が見えます。寄棟造銅板葺で向拝を付設しています。御朱印は本堂内に印判があります。

冠木門
六地蔵と参道
向拝
堂内の寺号扁額
山号太梅山(たいばいさん)
寺院名安楽寺(あんらくじ)
宗派曹洞宗
本尊釈迦如来
真言のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
住所賀茂郡南伊豆町下小野683

第68番札所 東林寺

文録年間(1592-1596年)に僧龍山寺廬岳に創立された小庵でしたが、慶長五年(1600年)現地に遷り、曹洞院八世巨雄天策を開山とし、堂宇を建立して曹洞宗寺院となりました。


伊豆国守・通國書写の大般若経を所蔵します。青野川に沿って走る県道121号南伊豆松崎線の下小野の集落にあります。参道階段と、その右手前に寺号標があります。階段脇には地蔵尊が並びます。

階段を昇った正面が竹林を背負う本堂。寄棟造銅板葺で、中央に向拝を附設しています。水引虹梁中備に寺号扁額を掲げられてます。

向拝
寺号扁額
山号廬岳山(ろがくさん)
寺院名東林寺(とうりんじ)
宗派曹洞宗
本尊薬師如来
真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住所賀茂郡南伊豆町下小野414-1
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