焼津の荒祭

荒祭の見所の一つは、何と言っても勇壮豪快な神輿渡御(行列)です。「アンエットン」という独特の掛け声とともに2基の神輿が激しく煽られる様子は、何度見ても圧倒されてしまいます。

神輿渡御(行列)

神輿は、「アンエットン」という独特のかけ声とともに神社を朝10時に出発し、焼津市内にある4ヶ所の御旅所(おたびしょ)に寄り、夜11時頃に神社へ戻ります。神輿渡御の総距離は6.5km程に及びます。

獅子木遣りししぎやり

2基の神輿が勇壮に町中を練り歩く。 この行列の先頭を行くのが獅子木遣りである。

獅子木遣り

雌雄一対の獅子頭からは長い幕が伸び、手古舞姿の小学生の女子が、幕の両側に並んで幕を広げるようにして持つ。

木遣りとは、重い木材などを大勢で掛け声をかけながら運ぶ時などにうたう歌のことで、のちに祭礼の歌にもなり、お祝いの意味をもつようになりました。

獅子木遣りの少女達

荒祭渡御行列の先頭で、歌声やわらかく、華やかな色どりを添えているのが、手古舞衣裳の獅子木遣りの少女達です。

神輿渡御

神輿の前後には神役の行列が並び、神様の通る道を何度もお清めしながら進んでいきます。
荒祭は、威勢の良さから荒々しいことだけが注目されがちですが、荒祭の「荒」は「素朴」「純粋」「まっさら」な気持ちで神様に向き合うという意味です。

お祭りの衣裳は、白装束といわれ上から下まですべて白を着用します。白は清浄を表す色で、お祭りに参加するにあたり、身も心も清らかであることを示しています。

神輿の前後には様々な神役の行列が進みます。その中でも特に猿田彦(さるたひこ)・御神子(いちっこ)・御供捧(おんくささげ)・流鏑馬(やぶさめ)が重要な役とされています。

猿田彦(さるたひこ)

神輿の通る道に邪悪なものを寄せ付けないために、社宝である猿田彦面を付けて先導する役です。面を付けることから「オメンサン」とも言われています。

御神子(いちっこ)

穢れない姿・所作によって人々の心を清め、神様のお力を授ける。

御供捧(おんくささげ)

全ての人々を代表して、神様へお供え物を献る。

流鏑馬(やぶさめ)

焼津の町に災いの無いことを祈り、青竹で作られた御神矢を掲げ馬で駆ける。

神楽(舞)

8月のお祭りでは3種類の神楽(舞)が、舞姫によって御神前に奉納されます。乙女の舞、浦安の舞、青垣の舞

浦安の舞
乙女の舞
青垣の舞

焼津の荒祭

荒祭は、威勢の良さから荒々しいことだけが注目されがちですが、荒祭の「荒」は「荒っぽい」「暴れる」というような意味ではなく、「素朴」「純粋」「まっさら」な気持ちで神様に向き合うという意味なのです。

幟担ぎ(のぼりかつぎ)祈祷

「幟担ぎ祈祷」は、赤ちゃんが生まれたその年から3年間、名前を記した幟籏を持ってお参りをし、拝殿で無事成長を祈願して受ける御祈祷です。

神ころがし

「神ころがし」は、幟担ぎ祈祷1年目の赤ちゃんが受けるものです。
二人一組の神社総代によって「アンエットン」の掛け声とともに赤ちゃんを3度回し、その時の泣き声が大きいほど丈夫に育つと言われています。

焼津神社

焼津神社の御創建は反正天皇4年(西暦409年)と伝えられており、今から1,600年以上も前になります。日本武尊の知恵と勇気と優しさを称え、焼津の守神としてお祀り(おまつり)をしたことが焼津神社のはじまりです。

神社を含む一帯では、宮之腰遺跡という1,600年程昔の遺跡が出土しており、古代祭祀の道具や人々が生活していた跡が発見されていることから、その時代からこの場所に神社があったことがわかります。

〒425-0026
静岡県焼津市焼津二丁目七番二号 【地図
TEL:054-628-2444


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