「三保の松原」“羽衣伝説”と“エレーヌの物語”

駿河湾に突き出た三保半島の海岸線7kmにわたり、5万4千本のクロマツが茂る松原で、国の名勝にも指定されている景勝地。世界遺産「富士山」を構成する資産のひとつであり、佐賀県の「虹の松原」、福井県の「気比の松原」と並び、”日本三大松原”に数えられています。

青い海に緑の松林、そして背後にそびえる富士山。この日本の美しさを感じさせる絶景は、歌川広重の浮世絵にも描かれています。

三保松原の羽衣伝説

三保に白龍(はくりょう)という名の漁師がいました。
今朝も三保の松原で釣をしておりました。
見慣れた浜の景色ですが海原に浮かぶ春の富士はとりわけ美しく見えました。

と、どこからともなく、えもいわれぬ良い香りがしてきました。
香りに惹かれて行ってみると一本の松に見たこともない
美しい衣が掛かって風に揺れていました。

「何てきれいなんだろう。持ち帰って家の宝にしよう。」
そういって衣を抱え家に持ち帰ろうとしたその時です。
「もし、それは私の着物です。」
木の陰に美しい女の人が立っていたのです。

「私は天女です。その衣は羽衣といってあなたがたにはご用のないものです。
どうぞ返して下さい。それがないと天に帰れません。」
白龍はこれがかの天の羽衣かととても驚きましたが、
天女の悲嘆にくれた姿を見て羽衣を返す気持ちになりました。

「返すかわりに天人の舞を舞って下さい。」
天女は喜んで承知しましたが
「羽衣がないと舞が舞えません。まず羽衣を返して下さい。」と言うのです。

白龍はふと思いました。羽衣を返せば舞を舞わずに帰ってしまうのではないか。
すると天女はきっぱりと答えました。
「疑いや偽りは人間の世界のことで天上の世界にはございません。」

この言葉に白龍は自分がすっかり恥ずかしくなりました。
羽衣を身にまとうと、天女は優雅に袂を翻し、舞いを舞いはじめました。
どこからともなく笛や鼓の音が聞こえよい香りが立ちこめます。
白龍があっけにとられて見とれているうちに天女はふわりふわりと天へと上り
だんだん高くなったかと思うとみるみる内に愛鷹山から
富士の高嶺に、霞にまぎれて消えていきました。

エレーヌの碑

三保松原を舞台とする羽衣伝説は、15世紀に作られたといわれる謡曲「羽衣」によって一躍有名になりました。簡明かつ幻想的な「羽衣」の物語は、その後、長唄、筝曲、舞踊、浮世絵、歌舞伎などを通じて庶民に広まり、近代になると、教科書や唱歌にも採り上げられました。江戸時代の街道整備以降、三保松原は、富士の眺望とともに、日本の美を象徴する場所として誰もが訪れてみたい人気の観光地となりました。

日本各地に広く残る羽衣伝説は、世界に分布する白鳥処女説話に類似し、衣を奪われた天人が人間の男と結婚するというものが一般的です。その中で、謡曲「羽衣」は、三保松原における春の日のたった一日の出来事を題材としています。天女が発した「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを(地上の人間は嘘をつくが天人はつかない)」という台詞や東遊(あずまあそび)の駿河舞を舞い富士の高嶺の大空の霞の中に消えていく三保松原の持つ神秘性が、日本のみならず、世界中の多くの人々を魅了してきました。

日本の能楽に傾倒したフランスの舞踏家エレーヌ・ジュグラリスは、「羽衣」に心を惹かれ、フランスに日本の大使館や領事館のない時代に能の調査・研究を重ね、自らの追及する「羽衣」を創り上げました。1949年のパリ・ギメ美術館での初演は大成功を納め、各地で精力的に上演を続けましたが、1951年、憧れの地・三保松原を見ぬまま、35才という若さでこの世を去りました。

夫のマルセル氏は、「私の魂は日本の三保に愛着している。私を三保に連れていってほしい」というエレーヌの遺志を果たすため、同年の11月、彼女の遺髪を携え三保を訪れました。これを機に、1952年11月、夫人の遺徳を偲んで記念碑が建立されました。

碑にはエレーヌが能面を手にしているレリーフが刻まれ、除幕式にはフランス大使をはじめ、知名の士が多数参列し、羽衣の松を背景にして梅若万三郎師一門が「羽衣」を奉納しました。

現在も、毎年10月に三保松原周辺で「羽衣まつり」が開催され、エレーヌ夫人の顕彰式、三保羽衣薪能などが行われています。

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