山宮浅間神社

山宮浅間神社には富士山を遥拝するための遥拝所がある。これは、古い富士山祭祀の形をとどめているものと考えられている。

遥拝所は溶岩流の先端部に位置し、遥拝所の周囲には溶岩礫を用いた石塁が巡っている。遥拝所内部の石列は、主軸が富士山方向に向いている。

「富士本宮浅間社記」には、浅間大社は山宮浅間神社の地から移転されたとある。山宮浅間神社の創建年代は不詳だが、発掘調査では祭事に使用されたと推定される12世紀の土器(カワラケ)が出土しており、文献史料では16世紀から確認できる。

また、かつては、浅間大社の祭神が春と秋に浅間大社と山宮浅間神社を往復する「山宮御神幸」が行われていた。

山宮御神幸の道筋(御神幸道)50町(1町は約109メートル)には、元禄4年(1691)に1町毎に標石が置かれた。明治7年(1874)以降山宮御神幸は行われなくなり、標石の大半も失われているため、現在正確な道筋は不明である。

遥拝所

富士山を直接遥拝し、祭儀を行うことを目的として築造されたと推定される施設。
南北約15m、東西約8mの長方形で、30~40cm程の溶岩を用いた石列によって組まれている。

富士山を拝む方向に祭壇が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・社僧席が設けられている。

石塁

遥拝所の周辺約45m四方が石塁により方形に区切られている。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫を積み上げて構築されている。
石塁下から祭祀に用いられたと思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた12世紀~15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定される。

鉾立石

籠屋(社務所)をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための石が置かれている。
石は火山弾であり、籠屋をくぐってすぐの位置に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれている。

籠屋(社務所)

山宮浅間神社で祭儀を執り行った大宮司以下の神職や社僧が一夜参籠した所。
現在の籠屋(社務所)は昭和8年に建てられたもので、それ以前の籠屋の実態は不明である。祭儀の際に仮屋が建てられた可能性もある。

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