第42番札所 長楽寺

以前は薬師院長楽寺と名で別の地にあったものを、1555(弘治元)年に僧尊宥が現在地に移しました。 その後明治初年の廃仏毀釈によって一旦は廃寺となりましたが、宝光院長命寺と併合し再興しました。宝光院長命寺の本尊であった聖観世音菩薩が伊豆横道三十三観音の第23番霊場となっています。

現地由緒書には「真言宗 弘治元年(1555)中興開山尊有により再興創建」と明記されていますが、草創年代は諸説あるようです。現在の長楽寺は、明治初頭の神仏分離令で廃寺の危機に追い込まれた際、法光院長命寺と合併することで存続したといいます。

文明七年(1475年)に鍋田の海(岸)に示現された薬師如来を僧尊宥(承應元年(1652年寂)が御本尊として開山という説があります。当初は薬師院長楽寺と号して別の地にあったものを、弘治元年(1555年)に僧尊宥が現在地に移して再興開山という説もあります。

安政元年(1854年)12月、大目付格・筒井政憲/勘定奉行・川路聖謨とロシア全権提督・プチャーチンとの間で日露和親条約(日露通好条約)が締結、翌年1月に日本側応接掛・井戸対馬守等と米国使節・アダムス中佐との間で日米和親条約批准書の交換が行われた寺院で、下田市の文化財に指定されています。

法光院長命寺は、ペリー艦隊に便乗して海外渡航するという企てに失敗した吉田松陰と金子重輔が一時拘禁された寺で、長命寺跡地は「吉田松陰拘禁之跡(長命寺跡)」として下田市の文化財に指定されています。

日露和親条約
吉田松陰拘禁之跡(長命寺跡)

本堂は宝形造で、頂部にはしっかり露盤、伏鉢、宝珠の3点セットが置かれています。桟瓦葺。流れ向拝が設けられ端正にまとまった堂宇です。

本堂
向拝
山号大浦山(おおうらさん)
寺院名長楽寺(ちょうらくじ)
宗派真言宗(高野山真言宗)
本尊薬師如来
真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
住所下田市三丁目13-19

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメントは承認待ちです。表示されるまでしばらく時間がかかるかもしれません。

Translate »