かつては河津町の縄地に創立された真言宗の寺院でした。 その後、下田市本郷に遷移し布根山天気院と称しましたが、僧量誉によって浄土宗へと改宗となりました。 後に現在地に移り、富厳山海善寺と改めました。
当山は、戸田忠次が徳川家康公より五千石をもって下田領主として封ぜられた居館の跡とされます。その後戸田家は関ヶ原の功により加増を受け、三河田原一万石の大名となりました。文久三年(1863年)12月、攘夷を迫られた十四代将軍家茂公が蒸気船「翔鶴丸」で上洛の途中、西風に阻まれ下田に待避し当寺で越年したという記録が残ります。
観応元年(1350年)僧昭善が真言宗寺院として開創し、その後下田市本郷に移り布根山天気院と号し、天正十七年(1589年)僧量譽によって浄土宗へ改宗、天正十八年(1590年)現在地に移転して富巖山海善寺と号したという記載もみられます。
参道門柱から山門まで距離があり、山門も堂々たる楼門で寺格を感じます。山門は江戸時代の建立とのこと。本堂は昭和34年の火災で焼失し、近代建築となっています。
山号 | 富巖山(ふげんさん) |
寺院名 | 海善寺(かいぜんじ) |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
真言 | おん あみりた ていせい から うん |
住所 | 下田市一丁目14-18 |