信長公黄葉まつり

西山本門寺境内にある樹齢500年の柊の根元に京都本能寺で討死したはずの織田信長の首が本因坊算砂(日海上人)の命により埋葬されているとの伝説があり、首塚が築かれています。境内の大イチョウが黄色く染まる11月に、この伝説に由来する「信長公黄葉(こうよう)まつり」が開催されます。

最も注目を集める催し物と言えば、「駿府鉄砲衆」による火縄銃演武です。解説を交えながら火縄銃の実演が行われます。

駿府古式砲術研究会「駿府鉄炮衆」(富士市木島)13人が、横1列あるいは2列に並んで「立放し一斉射ち」や「膝台釣瓶射ち」、「前後二段構え釣瓶射ち」などさまざまな撃ち方を実演します。。

境内では、特産品販売や野点(屋外で楽しむお茶会)が開かれ、特設ステージでは敦盛(幸若舞)や居合、子どもたちの剣道試合や空手演武など、武将信長にふさわしい演目がつぎつぎと披露されまっす。

居合道
剣道野試合
空手演武
子どもたちの甲冑姿
武者行列
野点
琴の演奏

参道の両脇に美味しそうな出店が20以上並んでいます。

なかなか見られない刀鍛冶の実演

西山本門寺境内にあるヒイラギの根元に、織田信長の首が埋葬されているという伝説があるのだそうです。

織田信長の首塚
信長公首塚の供養

天正10年6月2日(1582年6月21日)、京都本能寺の変にて討ち死にした織田信長公の首を、囲碁の名人といわれた本因坊日海の指示により、原志摩守宗安が父・胤重と兄・孫八郎清安の首と共に炎上する本能寺より持ち出し、ここ富士山を望む西山・本門寺に納め首塚を建立し、大柊の木を植えて祀ったものです。

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