実はお茶以外にも注目したい伝統文化やお祭りなど、あまり知られていない魅力が潜んでいます。島田という地名に由来するとされる日本髪「島田髷(まげ)」の起源や「島田髷まつり」について紹介します。
島田髷祭(しまだまげまつり、島田髷まつり)とは、毎年9月第3日曜日に静岡県島田市にて行われている、島田髷の考案者とされる「虎御前」を偲ぶ祭りです。
未就学児から妙齢までの数十名の参加者(が島田系をはじめとする各種の日本髪を結い、厚化粧をして、お揃いの浴衣に丸帯・袋帯・踊り帯・昼夜帯等を結び、髷の名前が書かれた団扇を手に奉納踊りを披露します(島田髷道中)。
髷娘は赤い蛇の目傘を手に広場周辺を練り歩き、鵜田寺(うだじ)(同市野田)の境内で手踊りを奉納。その後、虎御前の菩提寺でもある鵜田寺(各種の日本髪の鬘を展示)にて髷供養感謝祭を行うイベントです。
島田髷をはじめとして兵庫髷、勝山髷、笄髷といった多様な日本髪(江戸風・京風・共)を見る事が出来ます。
特にここ数年は割れしのぶ・おふく・奴島田といった地毛で結った京都の舞妓の髪型も多く見られる様になりました・
990年代までは概ね、小学生以下は地毛で、中学生以上は鬘(かつら)で参加する場合が多かった。近年は中学生以上でも鬘(かつら)を使用する者は少数派となり、大部分の参加者が地毛で日本髪を結う様になったそうです。
日本人ならではの美しく艶ややかな黒髪を結い上げ、着物や浴衣に凛と映える日本髪。その代表的な髪型の一つに、静岡県島田市に古くから伝わる「島田髷」が挙げられます。
「島田髷」の起源は諸説ありますが、島田出身の遊女「虎御前(とらごぜん)」が考案し、結ったのが始まりとされています。
島田髷は江戸時代によく見られた髪型で、当時は女性の年齢や身分が髪型で分かったほど、女性にとって大切な身だしなみの一つであったと言われています。
「島田髷まつり」には、いろんな世代の人が輝き、交わることができるのも「島田髷まつり」の魅力だと言います。 「島田髷まつり」では髷娘が4曲の踊りを奉納します。その全てを3日間ほどの練習会で習得します。
「島田髷まつり」は、虎御前の供養と結上文化への感謝を込めて1933年に開催された「虎御前感謝祭」が始まり。日支事変の勃発とともにしばらくの間中断が余儀なくされました。
1965年ごろに「島田髷まつり保存会」によって再開されました。以来、毎年9月の第3日曜日に開催されます。。
祭り当日は、髷娘として市内の女性約80名が島田髷を結い、そろいの浴衣を着て、奉納踊り(手踊り)をしながら街中を練り歩く「髷道中」が繰り広げられます。
島田髷まつりフォトコンテストが開催されます。
応募作品のうち入賞作品を展示する写真展が島田市博物館分館にて開催されるそうです。
主催/島田髷まつり実行委員会
問合せ/●島田髷まつり保存会
090-4855-2320 (午前9時から午後6時まで)
http://shimadamage.eshizuoka.jp/
●0547-36-7163(観光課観光交流係)
島田髷まつりで結われる日本髪の種類
高島田
髷の根の部分を高く結ったものを「高島田」と呼びます。明治時代以降、清楚な髪形として良家の子女に好まれるようになり、のちに花嫁の正装姿として定着。「文金高島田」は現代の花嫁姿にも用いられています。
奴島田
高島田の一種で、髷の根を高めに結った端正なかたちが上流階級の子女に好まれました。京阪で主に結われておりました。武家は飾りが少なく、町娘は飾りを多くつけます。
お染め島田
発祥は、芝居の「お染久松物語」のお染が結っている髪形です。結綿島田が土台になっています。
勝山
江戸吉原の遊女たちが考案したといわれます。髪を巻き付け白本結で絞めます。御殿風の凛々しさが好まれ、のちに武家の奥の方などにも結われるようになりました。
結綿
つぶし島田に鹿の子をかけた、17~18歳ごろの娘の髪型で、明治時代中期ごろまで町娘たちに愛されました。髷のかたちが慶事に用いる真綿を結び束ねた結綿に似ていることからこの名が付きました。全体に丸みを帯びたかたちが、娘らしい初々しさを感じさせます。