静岡まつりは「駿府で徳川家康公が家臣を連れて花見をした」という故事に倣い、1957年(昭和32年)から始まった市民の祭りです。 毎年4月の第1金曜・土曜・日曜に開催され、家康公の花見を再現した400名の「大御所花見行列」をはじめ、満開の桜の下、さまざまな催しが繰り広げられます。
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「五つの物語」で構成されている
一、 「前夜まつり」 – 大御所(徳川家康)に仕える家臣団結成の儀(駿府城会場 駿府大演舞場)、大御所が花見に行こうと呼びかける、市民が大御所の家臣団として結成の儀を行う。数百のスカイランタンが打ち上げられる。
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二、 「駿府登城行列」 – 大御所の呼び掛けに応えて駿府城を目指す( 伊河麻神社、青葉開場、駿府城会場)、大御所主催の花見に招かれた町民が、大御所への献上品を持ち戦国武将、忍者、小町、町人、農民など時代衣装で駿府城へ行列する。
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三、 「大御所花見行列」 – 大御所とともに花見に出かける( 駿府城会場、追手町会場、浅間神社、青葉会場)
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四、 「夜桜乱舞・城下さくら踊り」 – 花見の宴を盛り上げる、参加者が大御所・徳川家康が開いた花見の宴を盛り上げるため、市役所前の大通りを舞う市民参加型の総踊りである。
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五、 「大御所観覧手筒花火」 – 天下に戦国時代の終焉を告げる、慶長18年(1613年)、徳川家康は駿府城で日本で初めて花火を見た。戦国時代を終わらせ、火薬を平和利用にと家康が花火を推薦したといわれている。
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徳川家康はどのような人ですか?
天下人として名高い家康ですが、幼い頃は「織田家」と「今川家」の人質として扱われ、家臣共々不遇な生活を送っていました。 しかし、そののちは三河平定、そして天下分け目の「関ヶ原の戦い」を経て征夷大将軍となったのです。
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今川時代から450年以上続く静岡浅間神社の「廿日会祭(はつかえさい)」に呼応する形で、昭和32年から始まった市民のお祭りです。徳川家康公が家臣団と駿府で花見を楽しんだ故事にならって桜の季節に開催されるこのお祭りは、今や静岡市の春の風物詩となっています。
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