『古式十二段舞楽』は、今より1300年程前の飛鳥時代末にあたる大宝元年(701年) 天皇よりの使者「勅使(ちょくし)」によって小國神社に奉奏された、十二段の舞からなる舞曲です。
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舞楽は今から一三〇〇年程前、慶雲二年(705年)京から藤原綾足が神官として着任し、十二段舞楽を奉納したのが始まりと伝承されています。(天宮神社神宮寺資料より)
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舞楽終了後、舞子を”神様の子供”のままで汚れないように、神社の本殿から家まで肩車をして地面に足をつけないように送り届ける「舞子返し」が行われる。
奉納演目
古くは舞楽(ぶがく)とは言わず、舞物(まいもの)と呼び親しんできました。12段のうち6段を舞い子に選ばれた子供が舞います。舞い子は「稚児舞(ちごまい)」と太平楽の「太刀(たち)」とに区別されます。
番外/花の舞(はなのまい)
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祓の舞で、奉仕者は舞人以外の伶人また神職で奏楽に合せ竹の筒から切麻を振って祓います。
一番/連舞(えんぶ)
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舞楽の始めに行う舞で「神に供へる又は押し鎮める」の意があります。 舞人は稚子2人で緋袍に天冠を冠り鉾をとって舞います。
二番/色香(しきこう)
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大人2人で典雅な白色の面に裂布の垂れた独特の上衣に紫の袴をつけ背に円板をつけ、桴を手に曲に合わせて動きも大きくゆるやかに舞います。
三番/蝶の舞(ちょうのまい)
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舞人は稚子4人で布衣をつけ天冠を冠り胡蝶の花に遊ぶさまをして舞います。
小國神社の舞楽古伝書に依れば庭小鳥とあります。
四番/鳥の舞(とりのまい)
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蝶の舞と同じく稚子4人で、鳥の飛び遊ぶ姿をして舞います。 装束も蝶の舞と同じですが、舞の手が異なっています。
五番/太平楽(たいへいらく)
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乱世を正すというめでたい舞です。俗に”太刀舞”と言い子供4人鳥兜に裲襠装束で鉾を持ち勇壮華麗に舞います。「太刀の一人舞」は独特の舞手です。
六番/新まっく(しんまっく)
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小國神社では古くは「神麻久」と言い、舞人は子供4人で樺色の布衣を着けて笏を持って舞います。
七番/安摩(あま)
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紙の仮面に巻纓の冠を被り青色の狩衣に笏を持って舞います。楽器は太鼓と鉦鼓で、唱歌により拍子をとって舞います。本来二人舞であるが当神社では一人舞です。
八番/二の舞(にのまい)
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安摩の答舞で次いで舞います。番舞(つがいまい)で安摩を真似得ない姿を舞うと言う翁媼のいわゆる戯舞で見るものを思わずほほえませます。
九番/陵王(りょうおう)
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竜頭を頂いた鼻のとがった目の鋭い恐ろしい面をつけ一尺余の桴を持って舞います。
装束は赤色かかった裲襠を用いて舞は走舞で鮮やかなものです。
十番/抜頭(ばとう)
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稚子の”一人舞”と言い子供1人天冠をつけ白地に刺繍の装束で舞います。
2日目には「座頭の坊」と称する子供と大人の争うさまを舞います。
十一番/納蘇利(なっそり)
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裲襠装束で恐ろしい紺青色の面をつけ桴を持って舞います。
走舞で動作は元気があって面白く竜の舞跳る趣があり活発な中にも荘重の感が深い舞です。
十二番/獅子(しし)
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俗に”獅子伏せ”と言い大人3人で舞います。悪魔払いとも五穀豊穣の祈りとも伝えられ、祝儀舞です。 舞曲共に勇壮かつ華やかに舞います。
「神幸祭(しんこうさい)」斎行
舞楽が奉奏される日には「神幸祭(しんこうさい)」を執り行われます。1年で唯一、大神さまがお神輿に乗ってお出ましになる大変めでたいお祭りです。お神輿行列
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門前の明神通りから小國神社へと向かう「勅使行列(ちょくしぎょうれつ)」が行われます。「勅使行列」は勅使が小国神社に遣わされた当時を想わせるものです。
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小國神社は『遠江風土記伝』による社記では、欽明天皇16(555)年、大乙貴命(大国主命)が本宮山に出現、寿瑞を示したので勅使が遣わされて山の南の宮代の地に新宮を営んだことが起こりという。
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戦国時代には武田と家康側の戦争に巻き込まれて社殿は焼け、後に家康が再建している。現在の社殿は、明治年間の建築です。
中央の写真が、舞殿と本殿です。