浜松まつり

浜松まつりの特徴のひとつは、「都市まつり」ということ。東京の天下祭りや京都の祇園祭と違って、神社仏閣の祭礼とは関係ない市民のまつりなのです。

浜松まつりの始まりは、一説によると今からおよそ450余年前の永禄年間(1558~1569年)に、当時の浜松を治めていた引間城主の長男誕生を祝って城中高く凧を揚げたことが、凧揚げの起源であると言われています。

初凧
初凧

浜松藩には24か町の職人の町があり後の凧揚げの中心を担う町になったのです。今では浜松まつりに欠かせない初凧・凧合戦が本格化したのも明治20年頃で、長男が生まれたらその子の成長を願って凧を揚げる初凧の風習は、遠州地方に広がっていきました。

凧糸切り合戦

4日と5日には、各町の凧どうしが互いの凧糸を絡ませて、擦り合いながら糸を切りあう「糸きり合戦」が繰り広げられ、会場はさらに白熱した雰囲気になる。

御殿屋台引き回し

中島町本町(なかじまちょうほんまち)、唐破風軒搦二重屋根入母屋造り、一寸法師、十ニ支が彫刻されています。 左の住吉(すみよし)の御殿屋台、唐破風軒搦入母屋造りで五社車(風神、雷神、力神、恵比須、大黒)が彫刻されています。

ここが浜松市内中心部イベント会場となる鍛冶屋町通りです。

各町合同による練りが終わり、各町自慢の 「御殿屋台」 の引き回しが始まりました。 大工町(だいくまち)の御殿屋台です。 二層唐破風(からはふ)総白木造りでお伽囃(おとぎばなし) を題材にした彫刻が施されています。

右側が田町(たまち)の御殿屋台、重層唐破風銅板葺屋根で、鶴亀仙人、竜、寅、昇り竜、下り竜(十二支の動物)が彫刻されています。 左側は千歳町(ちとせちょう)の御殿屋台で桃山式三手崎出組造り、彫刻は天狗にまつわる話より、源義経(牛若丸)との鞍馬山での修行時代から青年期を迎え、源平合戦に出陣をする時の様子を絵巻風に再現しています。

ゆっくりと引かれてくる御殿屋台は、野口町(のぐちちょう)です。 桃山式重層造りで七福神、唐子童子の獅子群偶像が彫刻されています。 化粧した少女がお囃子を務めます。

上西町(かみにしちょう)の御殿屋台が通り過ぎます。  一層の総ケヤキ造りで七福神、桃太郎物語が彫刻されています。 後方の垂れ幕がきれいでした。

子安町(こやすちょう)の御殿屋台です。 一層大唐破風桧造り。 子安の地名は、町内の子安神社にちなみ名付けられたものと思われます。 御神体は子宝に恵まれるといわれる木之花之佐久夜姫です。 少女の奏でるお囃子が聞こえてきます。

左側が高丘(たかおか)の御殿屋台、重層入母屋軒唐破風造りで、松、鷹、龍、風神、雷神が彫刻されています。 右側が植松町(うえまつちょう)の御殿屋台です。 一層大唐破風総桧造り本舞台、絵は源氏物語と屋台守護の竜、虎、唐獅子が描かれています。

植松町と右側の葵東(あおいひがし)がすれ違います。 葵東の御殿屋台は桃山式二層唐破風出組み造りで日本昔話の彫刻が施されています。葵東の御殿屋台から少女たちの奏でるお囃子が聞こえてきます。

すれ違う向宿町(むこうじゅくちょう)と成子町(なるこちょう)の御殿屋台です。
向宿町の御殿屋台は桃山式大唐破風で飛竜、竜、恵比須腰彫荒波に千鳥24羽が彫られています。 成子町の御殿屋台は桃山風二層式千鳥唐破風造りで、昇り竜、下り竜、唐獅子に牡丹、櫻に御所車、松に鷹、風神、雷神、義経、弁慶、麒麟、四神獣が彫刻されています。

各町合同による勇壮な練りに続き、絢爛豪華な御殿屋台が続々と登場します。 中でも、屋台の上で披露する子供達のお囃子(はやし)と、町ごとに多彩な趣向を凝らした屋台彫刻は見ものです。 提灯の明かりに照らされ、宵闇に浮び上がる御殿屋台の競演は、沿道の見物客を魅了するほど幻想的な美しさです。 

一夜のために10年以上の歳月をかけて作る 浜松まつりの御殿屋台

名前に「御殿」と付くとおり、5メートルを超える高さのものもあり、豪華絢爛で大迫力があります。まるで絵巻物の世界のように幻想的な御殿屋台。各町内の大切な宝物です。

浜松まつりは、大凧合戦が起源のお祭りです。その昔、凧揚げの道具を乗せた大八車の四隅に柱を立て、凧を屋根代わりにして運んだことが屋台の始まりと言われています。

その後、造花や提灯で華やかに飾った屋台が登場し、次第に豪華さを増し、現在のような多重層の屋根で見事な彫り物がたくさん施された豪華絢爛な屋台が作られるようになったそうです。

御殿屋台には、1台につき100〜120点もの彫刻が施されています (和田町の御殿屋台)

どんな状況で引き回されても力に耐え、壊れにくくかつ美しい姿を形づくるには、釘を使わずに組み立てる宮大工の技術が用いられます。制作費1億円、全長5メートル以上、100年の耐久性…。

美しさと耐久性の備わった屋台をつくるため、素材を厳選することから始まります。屋台はケヤキとヒノキを使った白木づくりが中心です。木肌の美しさをそのまま見せるところに特徴があります。

材料のとなる木材が揃ったところで、「型板おこし」が始まります。屋台の大きさ、高さ、軒の出をどれくらいにするか、屋根はどうするか?など検討します。

装飾の彫刻のサイズも決まってくるので、木を切り出し、彫り師へ依頼します。木目が美しく表れた面に細工を施します。

どの面を切り出して削るかで木目が変わります。最後までカンナで磨きます。刃物の名産地、燕三条で特注して作ったもの。何層にも重なった刃の波模様が美しいです。

同じ硬さのもの同士で圧力を加え合った方がものは壊れにくい。釘を使わず、木を組み合わせることで強度と美しさを生む宮大工の技術。組み合わせると一言にいっても、それは単純に2つのパーツを合わせるだけではありません。土台、柱などの大きなものから、細かなものまで様々なパーツを材木から切り出し、組んでいきます。

ある程度、組子が仕上がってくると屋台を組む作業へと進みます。整然と組まれる組子をはじめとした各パーツ。全体の大きさが相似となっているようにも感じられます。

材木を探し、小さな組子を1つ1つ組み合わせることから始まった屋台づくり。少しずつパーツを組み合わせて段々と形が出来上がっていきます。最後は屋根に銅板を貼り、車をはめ、飾りの金具をつけ、彫刻を取り付け、提灯をつけてやっと完成です。御殿屋台は10年の月日を費やして作り上げられました。

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