かつては玉田山金生院という真言宗の寺院でしたが、1600年(慶長5)年に曹洞宗の寺院として再興されました。 縄地金山が栄えた際に、近隣にあった9つの寺院のうちの一ヶ寺で、金山衰退後にのこり8つの寺院は移転や廃寺しましたが、地福院だけはこの地に残りました。
平安時代の創立ともいわれ、かつては玉田山金生院という真言宗寺院でしたが、慶長五年(1600年)に曹洞宗に改め再興。縄地金山が栄えた際に、近隣に創立された9つの寺院のうちの一ヶ寺で、金山衰退後に他の8つの寺院は移転ないし廃寺となりましたが、地福院だけはこの地に残ったとのこと。
縄地は南伊豆第一の金山であった。慶長十年(1605年)大久保岩見守長安が金山奉行として此地に来て採掘を続けた。最盛期には戸数8,000を算した。劇場もあり、相撲場もあり、遊女御免。長安は金山奉行として巨万を積んだ。
その不正贓罪は死後にあばかれ、一族は処刑され、不正に連座した坑夫は磔刑に処せられた。岩見守の邸跡は寺坂にある。縄地の子安神社、山神社に長安奉納の金の鍔が残っていた。最大なのは重さ約7貫匁(26kg)黄金を含んでいて、音響が極めてよかったといわれたが、賊に奪われて今はない。
正面の本堂は、寄棟造桟瓦葺流れ向拝。向かって右手に庫裡らしき建物がせり出し、ちょっと面白い。す。水引虹梁は木鼻の抜けがなく、身舎側の繋ぎ虹梁と併せて向拝上に。向拝正面サッシュ扉のうえに院号扁額が掲げられています。
山号 | 玉田山(ぎょくでんさん) |
寺院名 | 地福院(じふくいん) |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 大日如来 |
真言 | おん あびらうんけん ばざら だとばん |
住所 | 賀茂郡河津町縄地430 |