第37番札所 地福院

かつては玉田山金生院という真言宗の寺院でしたが、1600年(慶長5)年に曹洞宗の寺院として再興されました。 縄地金山が栄えた際に、近隣にあった9つの寺院のうちの一ヶ寺で、金山衰退後にのこり8つの寺院は移転や廃寺しましたが、地福院だけはこの地に残りました。

平安時代の創立ともいわれ、かつては玉田山金生院という真言宗寺院でしたが、慶長五年(1600年)に曹洞宗に改め再興。縄地金山が栄えた際に、近隣に創立された9つの寺院のうちの一ヶ寺で、金山衰退後に他の8つの寺院は移転ないし廃寺となりましたが、地福院だけはこの地に残ったとのこと。

縄地は南伊豆第一の金山であった。慶長十年(1605年)大久保岩見守長安が金山奉行として此地に来て採掘を続けた。最盛期には戸数8,000を算した。劇場もあり、相撲場もあり、遊女御免。長安は金山奉行として巨万を積んだ。

その不正贓罪は死後にあばかれ、一族は処刑され、不正に連座した坑夫は磔刑に処せられた。岩見守の邸跡は寺坂にある。縄地の子安神社、山神社に長安奉納の金の鍔が残っていた。最大なのは重さ約7貫匁(26kg)黄金を含んでいて、音響が極めてよかったといわれたが、賊に奪われて今はない。

正面の本堂は、寄棟造桟瓦葺流れ向拝。向かって右手に庫裡らしき建物がせり出し、ちょっと面白いす。水引虹梁は木鼻の抜けがなく、身舎側の繋ぎ虹梁と併せて向拝上に。向拝正面サッシュ扉のうえに院号扁額が掲げられています。

参道
本堂
向拝
扁額
山号玉田山(ぎょくでんさん)
寺院名地福院(じふくいん)
宗派曹洞宗
本尊大日如来
真言おん あびらうんけん ばざら だとばん
住所賀茂郡河津町縄地430

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