おおよそ、今から1300年前、和銅三年六月十五日に熱海湾で漁夫が御木像らしき物を引き上げた。お告げにより村民達が探し当てたのが、この熱海の西山の地でした。海から此の地にお木像が祀られた日、つまり御祭神が鎮まられた日が新暦の七月十五日となります。
御神前に、麦こがし、百合根、ところ、橙をお供えしたところ喜んで召し上がった伝えられています。海辺で神様に「麦こがし」を供えたと云う故事から、別名「こがし祭り」とも云われます。
例大祭は1日目、宵宮祭、2日目、宮神輿(みこし)渡御と例大祭神事があり、鹿島踊り、神女神楽、浦安舞が奉納される。3日目は呼び物の御神幸行列の巡行があり、熱海サンビーチで浜降り神事が行われる。
宵宮祭(よいみやさい)
宵宮祭は翌日より斎行される例大祭の一切の神事が無事奉仕できるよう祈念する祭事
神女神楽・浦安の舞
宮神輿渡御(みやみこしとぎょ)
江戸末期に作成された大変古いお神輿で、暴れ神輿として有名な時代もありました。大神輿に神々を乗せ、熱海の町を氏子各町内会の青年等が町内渡しで、渡御して行きます。
鹿島踊(かしまおどり)
鎌倉時代、鹿島地方より海を渡り此の伊豆・相模地方に伝えられ、二十二ヶ所の里で踊られております。中でも来宮神社鹿島踊りは伝えられた踊りを頑なに守り、現在では来宮神社鹿島踊保存会によって伝承されております。
踊手の持つ柄杓からこぼれ落ちる色紙は、稲米を表し、五穀豊穣・厄払いの意味をもちます。また踊り手が円陣(えん)から角形陣(さお)になる瞬間が非常に難しく、又華やかでもあります。
神幸祭(じんこうさい)
来宮の神々を御鳳輦(ごほうれん)に乗せ、町に降ります。町の繁栄を祈る神事です。
神々に供奉する宮司・神官をはじめ、総代・神役など御神幸行列は総勢五〇〇名を超え、壮大な時代絵巻の再現となります。
行列の中の猿田彦は天尊降臨の際案内した神様で、御鳳輦に鎮座する来宮大神の案内をする役割です。
御祭神と御縁の深い「むぎこがし」を道に撒き道中を御案内し、また人々は其のこがしに触れると無病息災・身体健康になると伝えられています。
御鳳輦(ごほうれん)
神々を乗せた御鳳輦は、毎年四十二才になる男子により担ぎ上げられ、町中を練り歩きます。厄祓の厳守な神事でもあります。御鳳輦奉仕者は、声高らかに」みょうねん」と発し、神々に感謝の気持ちを表しながら力強く担ぎ上げます。
浜降りは、御鳳輦に鎮座する来宮神社の神々を奉仕者達が担ぎ上げつつ、浜から海中に入る神事で古来より代々継承されております。
故事に基づき、其の習わしは御神体が海から流れ着いた浜で行われ、今日でいう東海岸である御神池に一年に一度奉仕者が御鳳輦を奉舁(ホウエイ)しながら海中へ入る神事です。
獅子舞(ししまい)
神幸行列に列する御獅子の発祥は、鎌倉期と云われております。御獅子は古来より、魔を食い尽くし、福を招くと言い伝えられていることから、御鳳輦に鎮まる神を護衛し、人々に幸をもたらします。
還幸祭(かんこうさい)
御鳳輦に乗せた来宮の神々にお戻り戴くお祭りです。又無事に神幸が出来たことを感謝申し上げ、例祭期間中の最後の奉納行事が行われます。
山車コンクール
熱海市街地中や国道135号線を山車が練歩く 山車コンクール も同時に開催されており、熱海の夏の風物詩として、観光の目玉ともなっております。毎年、山車 30基超、神輿 30基超 でこがし祭りが盛り上がります。