小國神社の古式十二段舞楽は、国の安寧と遠江国(現在の遠州地方)の発展を願い、大神様への真心(まごころ)をもって奉納することを本義としています。
毎年4月18日に近い土曜日、日曜日にほぼ1日かけて奉奏します。この日付は、欽明天皇の御代16年(555年)春十八日に本宮山(現在は小國神社の奥宮、奥磐戸神社が鎮まっています)にご神霊が出現したと伝わる当社の創建に深く関わっています。
奉納演目
祓の舞で、奉仕者は舞人以外の伶人また神職で奏楽に合せ竹の筒から切麻を振って祓います。
舞楽の始めに行う舞で「神に供へる又は押し鎮める」の意があります。舞人は稚子2人で緋袍に天冠を冠り鉾をとって舞います。
大人2人で典雅な白色の面に裂布の垂れた独特の上衣に紫の袴をつけ背に円板をつけ、桴を手に曲に合わせて動きも大きくゆるやかに舞います。
舞人は稚子4人で布衣をつけ天冠を冠り胡蝶の花に遊ぶさまをして舞います。当神社の舞楽古伝書に依れば庭小鳥とあります。
蝶の舞と同じく稚子4人で、鳥の飛び遊ぶ姿をして舞います。装束も蝶の舞と同じですが、舞の手が異なっています。
乱世を正すというめでたい舞です。俗に”太刀舞”と言い子供4人鳥兜に裲襠装束で鉾を持ち勇壮華麗に舞います。「太刀の一人舞」は独特の舞手です。
当神社では古くは「神麻久」と言い、舞人は子供4人で樺色の布衣を着けて笏を持って舞います。
紙の仮面に巻纓の冠を被り青色の狩衣に笏を持って舞います。楽器は太鼓と鉦鼓で、唱歌により拍子をとって舞います。本来二人舞であるが当神社では一人舞です。
安摩の答舞で次いで舞います。番舞(つがいまい)で安摩を真似得ない姿を舞うと言う翁媼のいわゆる戯舞で見るものを思わずほほえませます。
竜頭を頂いた鼻のとがった目の鋭い恐ろしい面をつけ一尺余の桴を持って舞います。装束は赤色かかった裲襠を用いて舞は走舞で鮮やかなものです。
稚子の”一人舞”と言い子供1人天冠をつけ白地に刺繍の装束で舞います。2日目には「座頭の坊」と称する子供と大人の争うさまを舞います。
裲襠装束で恐ろしい紺青色の面をつけ桴を持って舞います。走舞で動作は元気があって面白く竜の舞跳る趣があり活発な中にも荘重の感が深い舞です。
俗に”獅子伏せ”と言い大人3人で舞います。悪魔払いとも五穀豊穣の祈りとも伝えられ、祝儀舞です。舞曲共に勇壮かつ華やかに舞います。
大宝元年(701年)2月18日には、勅使(天皇の使者)が当地へ出向き、現在の社地に里宮を開き、十二段の舞を奉納したことが舞楽の始まりと伝承されています。