第34番札所 三養院

創立年代は不明ですが、開山の竺仙宗僊が1511(永正8)年に没していることから、それ以前と推測されます。 開山当時は千手院という寺号でした。 後に、豊臣秀吉が小田原城を攻めた際、下田の鵜島城も攻撃され、時の城主であった清水上野介は降伏し、妻と息子とともにこの千手院に身を隠しました。

三養院は韮山昌渓院を開山した竺仙宗僊による開山で、竺仙宗僊は永正八年(1511年)寂なのでそれ以前の創立と推測されています。開山当初は千手院(庵)と号しました。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原城攻めの際、下田の鵜島城(現・下田公園)も攻撃され、城主・清水上野介康英は降伏して妻と息子の能登寺正令とともに千手院に身を隠しました。この3人を養ったことから、三養院に号を改めたと伝わります。
なお、このとき鵜島城には、羽柴秀長、毛利輝元、宇喜多秀家、長宗我部元親、九鬼嘉隆など、じつに1万4千もの大軍が攻め寄せたとのことです。

門柱のさきに寄棟造桟葺の均整のとれた本堂。向拝柱はないです。向拝見上げの扁額は読めません。

参道
門柱
鐘楼
本堂
山号千手山(せんしゅさん)
寺院名三養院(さんよういん)
宗派曹洞宗
本尊釈迦如来
真言のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
住所賀茂郡河津町川津筏場807-1

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