開基時は真言宗高野山の末派で稲昌寺と称していました。 1616(元和2)年に曹洞宗に改宗し、その際に寺院名も善應院と改められました。
草創は嘉吉元年(1441年)で開基は真覚律師、鈴木三位大臣二十五代の子孫、熊野党水軍の鈴木孫七郎繁時の創立で当初は稲昌寺と号する真言宗高野山の末派でした。
元和二年(1616年)に駿州原田(現・富士市原田)永明寺六世(七世とも)大室存道和尚により曹洞宗に改宗して中興、善應院と号を改めました。中興の大室存道和尚は、宗祖承陽大師十六世の法孫と伝わります。
参道階段をのぼった正面の本堂は、寄棟造桟瓦葺で向拝柱はなく、正面見上げに院号の扁額を掲げています。
山号 | 稲取山(いなとりやま) |
寺院名 | 善應院(ぜんのういん) |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
真言 | おんまか きゃろにきゃ そわか |
住所 | 賀茂郡東伊豆町稲取400-2 |