溶岩が流れ下る際に樹木を取り込んで固化し、燃えつきた樹幹の跡が空洞として遺存した洞穴を溶岩樹型と言う。
“船津胎内樹型” の続きを読む吉田胎内樹型
937(承平7)年の富士山噴火の際に溶岩が東側にも流出。その際に、いくつもの樹木が重なり合って複雑な樹型をつくり、その形から女性の胎内に例えられたのが吉田胎内。
やがて胎内信仰に繋がり、吉田胎内は富士山を訪れた修行者たちから祈りの対象となりました。
“吉田胎内樹型” の続きを読む静岡県のたびの提案
静岡の観光の名所は交通の便が悪いいい気が多いです。田舎は自動車がなければ普段でも不便なんです。人が少ないので自然が残ってる地域が多いのです。
静岡には、国内線と国際線が発着する富士山静岡空港があります。国際線は、ソウル、上海、台北などと結ばれていています。東南アジア路線も増設の予定だそうです。
空港、新幹線の案内窓口で、レンタカーを尋ねれば、乗り捨てができる県内営業所を教えてくれます。
新幹線の駅は、富士駅、静岡駅、掛川駅、浜松駅の4か所です。
江戸時代はこんな旅だったんでしょうか。
令和の時代はこのスタイルでしょう。
地域別に食事、史跡、寺社、絶景、温泉、その他、普段の観光では訪れないような名所なども紹介できれば…。単品で紹介しますので選んで計画してください。時々コース料理、定食も(笑)
御師住宅-旧外川家住宅
旧外川家住宅は1768年に建造され、遺存状況の良好な最古の御師住宅の貴重な事例である。御師住宅の建造物及びその敷地の意匠・構造を表す代表的・典型的な事例である。
“御師住宅-旧外川家住宅” の続きを読む御師住宅-小佐野家住宅
資産には、小佐野家住宅は1861年に再建された富士講最盛期における平面構成を現在に伝える貴重な事例である。御師住宅の建造物及びその敷地の意匠・構造を表す代表的・典型的な事例である。
“御師住宅-小佐野家住宅” の続きを読む冨士御室浅間神社
現在の本殿はこの再興の歴史の中、1612年に徳川家の家臣で当時この地方の領主であった鳥居成次が造営したものです。造営後もさらに4回の改修が繰り返されました。
富士山二合目という厳しい自然環境にあったものを、永久保護を目的として1974年(昭和49年)現在の地である場所へ遷座しました。
958年には、礼拝儀祭を行いやすくするために現在の河口湖畔に里宮が建立されました。
“冨士御室浅間神社” の続きを読む河口浅間神社
河口浅間神社は、河口湖を挟んで富士山と対峙する神社。864年(貞観6年)より始まった富士山の貞観大噴火を鎮めるため、翌865年(貞観7年)に浅間明神を祀ったのを始まりとしている。
“河口浅間神社” の続きを読む東口本宮冨士浅間神社(冨士浅間神社)
富士山須走口登山道の起点に鎮座する。宗教法人名称は冨士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)で、須走浅間神社(すばしりせんげんじんじゃ)とも称される。須走口登山道の起点となる神社です。
“東口本宮冨士浅間神社(冨士浅間神社)” の続きを読む