安政4年(1857年)初代駐日総領事タウンゼント・ハリスが、日米修好通商条約締結のため江戸へ赴く途中で一泊したお寺。ハリスが使用した曲録(椅子)が残っています。
“第35番札所 慈眼院” の続きを読む第36番札所 乗安寺
慶長年間(1596~1615年)に縄地に開山された寺院で、後に現在地へと移されました。
“第36番札所 乗安寺” の続きを読む第37番札所 地福院
かつては玉田山金生院という真言宗の寺院でしたが、1600年(慶長5)年に曹洞宗の寺院として再興されました。 縄地金山が栄えた際に、近隣にあった9つの寺院のうちの一ヶ寺で、金山衰退後にのこり8つの寺院は移転や廃寺しましたが、地福院だけはこの地に残りました。
“第37番札所 地福院” の続きを読む第38番札所 禅福寺
元々は観世音菩薩を祀る真言宗の小さな庵でした。 貞和年間(1345~1350年)以来衰微していましたが、曹洞宗となり寺号も「禅居庵(または禅教院)」としました。 さらに後に、伽藍を建立し寺名も「禅福寺」と改称し、今に至ります。
“第38番札所 禅福寺” の続きを読む第39番札所 観音寺
かつては須崎の別の地にあった真言宗の寺院で、暘谷院という寺号でした。 1615(元和元)年に、曹洞宗に改宗し、現在の寺院名となりました。 その後、火災に遭い、1747(延享4)年に現在地に遷移しました。
“第39番札所 観音寺” の続きを読む第40番札所 玉泉寺
天正年間(1573~1592年)以前は真言宗の小さな庵でした。 1848(嘉永元)年3月に現在地に堂宇が完成し、山号を瑞龍山としました。
1856(安政3)年にタウゼント・ハリスが下田に入港した折、本邦初のアメリカ総領事館が置かれた寺院で、国の文化財に指定されています。
“第40番札所 玉泉寺” の続きを読む第41番札所 海善寺
かつては河津町の縄地に創立された真言宗の寺院でした。 その後、下田市本郷に遷移し布根山天気院と称しましたが、僧量誉によって浄土宗へと改宗となりました。 後に現在地に移り、富厳山海善寺と改めました。
“第41番札所 海善寺” の続きを読む第42番札所 長楽寺
以前は薬師院長楽寺と名で別の地にあったものを、1555(弘治元)年に僧尊宥が現在地に移しました。 その後明治初年の廃仏毀釈によって一旦は廃寺となりましたが、宝光院長命寺と併合し再興しました。宝光院長命寺の本尊であった聖観世音菩薩が伊豆横道三十三観音の第23番霊場となっています。
“第42番札所 長楽寺” の続きを読む第43番札所 大安寺
初めは小田原にあった寺院です。 天正年間(1573~1591年)に再興され、近世初頭に現在地に移りました。日向佐土原藩の船が、将軍家に献上するための御用材を積んで江戸に向かう途中で暴風雨に遭い、やむを得ず積荷の一部を捨てて下田港に入港しましたが、御用材を捨てた責任をとり16人が自害しました。
“第43番札所 大安寺” の続きを読む第44番札所 廣台寺
かつては桂昌庵という真言宗の小さな庵でした。 1612(慶長17)年4月21日に現在地に移り、曹洞宗に改宗、名も湯谷山廣台寺と改めました。1854(安政元)年に近隣が大津波に襲われた際、下田に滞在していたロシアのプチャーチン提督と幕府の勘定奉行川路聖謨が避難していました。
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