行基上人が網代の屏風ヶ岩で修行していた時、付近に漂着した霊木から観音像を彫り、洞窟の中に安置したと云われています。この霊木が奈良県の長谷観音像を彫った木の末木であったことから、奈良・鎌倉の長谷観音と共に「一本三体観音」とされています。 古くは真言宗に属していたと伝えられています。
“第26番札所 長谷寺” の続きを読む第27番札所 東林寺
開創当時は久遠寺という名の真言宗の寺院でした。 東林院殿寂心入道という祐親の法名にちなみ、現在の寺院名に改称、1538年には曹洞宗に改宗しました。日本三大仇討ちのひとつ「曽我兄弟の仇討ち」で知られる伊東祐親の菩提寺です。
“第27番札所 東林寺” の続きを読む第28番札所 大江院
かつては真言宗の寺院で、正式名称は圓光庵蓮台寺、俗称が大江庵でした。 1540(天文9)年に、最勝院十二世台翁宗銀によって曹洞宗に改宗、名も伊雄山大江院と改称しました。1912(明治45)年の日付が記された「伊豆八十八ヶ所納経帳」がこの寺院で発見されたことで、巡礼地の掘り起こしが始まり、霊場復活となりました。
“第28番札所 大江院” の続きを読む第29番札所 龍豊院
創建当時は真言宗の寺院でした。 慶長年間(1596~1615)に、最勝院七世和尚を開山とし曹洞宗に改宗しました。 1879年に火災により全焼しましたが、1884年に再建しました。
“第29番札所 龍豊院” の続きを読む第30番札所 自性院
1870年に火災により堂宇などが全焼したため、詳細な沿革は不明となっています。室町時代の1504(永正元)年に祖元によって開創され、1579(天正7)年に曹洞宗の法治となったと伝えられています。
“第30番札所 自性院” の続きを読む第31番札所 東泉院
北条氏直の外臣であった金指筑後守が開山したもので、元は真言宗の寺院でした。 この金指筑後守が祀った本尊の聖観世音菩薩は役小角の作と伝えられています。 後に曹洞宗へと改宗しました。
“第31番札所 東泉院 ” の続きを読む第32番札所 善應院
開基時は真言宗高野山の末派で稲昌寺と称していました。 1616(元和2)年に曹洞宗に改宗し、その際に寺院名も善應院と改められました。
“第32番札所 善應院” の続きを読む第33番札所 正定寺
創建当時は来迎庵という真言宗の寺院でした。 1598(慶長3)年に華山和尚により浄土宗に改宗しました。 1670(寛文10)年には、周辺を襲った大津波により寺院も大きな被害を受け、本尊だけがわずかに残ったと伝えられています。
“第33番札所 正定寺” の続きを読む第34番札所 三養院
創立年代は不明ですが、開山の竺仙宗僊が1511(永正8)年に没していることから、それ以前と推測されます。 開山当時は千手院という寺号でした。 後に、豊臣秀吉が小田原城を攻めた際、下田の鵜島城も攻撃され、時の城主であった清水上野介は降伏し、妻と息子とともにこの千手院に身を隠しました。
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