山宮浅間神社には富士山を遥拝するための遥拝所がある。これは、古い富士山祭祀の形をとどめているものと考えられている。
“山宮浅間神社” の続きを読む村山浅間神社
村山は、富士山における修験道の中心地であり、明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまで、興法寺という寺院があった。 鎌倉時代には、末代上人に関連する修行者により寺院が成立したと考えられ、村山には正嘉3年(1259)の銘がある大日如来坐像が伝わっている。
“村山浅間神社” の続きを読む須山浅間神社
須山の浅間神社は集落とは沢を隔てた柳沢の地に鎮座し、祭神は木花開耶姫尊である。
慶長3年(1598)の社殿旧記によると、景行天皇(110)の時代、日本武尊が蝦夷征伐のとき、この地を訪れ浅間神社を創起し、更に欽明天皇13年(552)に蘇我稲目が再興したとある。
“須山浅間神社” の続きを読む富士山―信仰の対象と芸術の源泉
富士山は一国の文化の基層を成す「名山」として世界的に著名であり、日本の最高峰を誇る秀麗な成層火山である。
信仰の対象と芸術の源泉として、また、文学の諸活動に関連する文化的景観として世界的な意義を持つ、顕著な普遍的価値を持つと評価されました。
平安時代から中世にかけては修験の道場として繁栄した。近世には江戸とその近郊に富士講が組織され、多くの民衆が富士禅定を目的として大規模な登拝活動を展開しました。
構成する文化遺産
お吉ヶ淵 幕末の動乱期に翻弄され流転した。
吉(きち)は、天保12年(1841)、愛知県知多郡内海に船大工・市兵衛、母・きわの次女として生まれます。(幼少のころに下田に移り住む。)幼くして市兵衛を失ったきちは、下田に入港する船の船頭たちの洗濯女として生計を支えます。
旧マッケンジー邸(国の登録有形文化財)
正式な登録名称は旧マッケンジー住宅。マッケンジー邸は市民の愛称です。戦前から残る貴重な建築として、国の登録有形文化財に指定されています。
静岡市の名誉市民第1号としても知られる、社会福祉家として親しまれた夫人と、茶貿易商マッケンジー氏が暮らしていた住宅。
“旧マッケンジー邸(国の登録有形文化財)” の続きを読む「三保の松原」“羽衣伝説”と“エレーヌの物語”
駿河湾に突き出た三保半島の海岸線7kmにわたり、5万4千本のクロマツが茂る松原で、国の名勝にも指定されている景勝地。世界遺産「富士山」を構成する資産のひとつであり、佐賀県の「虹の松原」、福井県の「気比の松原」と並び、”日本三大松原”に数えられています。
“「三保の松原」“羽衣伝説”と“エレーヌの物語”” の続きを読む徳川家康が祀られている久能山東照宮
久能山東照宮神廟は、静岡市駿河区に位置する神社で、家康は、「臨終候はば御躰をば久能へ納。御葬禮をば增上寺にて申付。御位牌をば三川之大樹寺に立。一周忌も過候て以後。日光山に小き堂をたて。勧請し候へ。」(『本光国師日記』)と遺言し、遺言に従って久能山に埋葬されています。
“徳川家康が祀られている久能山東照宮” の続きを読む世界文化遺産富士山の構成資産
世界文化遺産富士山の構成資産を、一泊二日で周遊するコースです。遠景の富士を仰ぐ三保松原から始まり、富士山本宮浅間大社、白糸の滝、と富士山に近付くほどに、眺めも大きく変化。二日目は山宮浅間神社などを経て、表富士五合目まで登り、山頂にぐっと迫ります。帰路は裾野方面に下り、東南側からの富士山の景観を楽しみながら、須山浅間神社に参拝します。移動中も富士山麓ならではの雄大な眺めの数々に出会えます。