1323(元享3)年に富貴野山宝蔵院(第81番札所)に向かっていた真言宗成就院の阿闍梨が、風岩峠付近でこの地が霊地であると感じ、1326(嘉暦元)年3月に婆娑羅山神護寺として開堂しました。 しばらく無住の時期がありましたが、臨済宗として再興しました。
元享三年(1323年)、富貴野山宝蔵院(第81番札所)に向かっていた堀ノ内村の真言宗成就院の円願阿闍梨は、加増野村の風岩峠で濃霧のため道に迷いました。すると、白衣の老人があらわれ「吾はこの山を守護する明神である。この山は弘法大師の霊境で仏法有縁の地であり、一宇を建てれば功徳多かるべし。」と告げられて忽然と姿を消しました。
円願阿闍梨は歓喜して堂宇を建立し、嘉暦元年(1326年)成就院の観世音菩薩像を遷し御本尊として奉安、婆娑羅山神護寺と号して開山と伝わります。
「婆娑羅山はその昔弘法大師が婆娑羅三摩耶を修した霊場で仏法有縁の地として知られ、『婆娑羅山』の名もそれから出ている」とのことで、お大師さまゆかりの山域のようです。また、「親捨て」にまつわる伝承が残っています。
山門の下は踊り場になっていて、二段の石垣が組まれて城内の曲輪のようです。山門は切妻屋根桟瓦葺で大がかりな降り棟を置き、四脚門と思われます。境内前庭の枝垂桜は樹齢200年を越える。
文化年代(1804-1817年)の築と伝わる本堂は、寄棟造桟瓦葺で照りのきいた端正なつくり。
向拝柱はなく、格子戸がメインの構成。堂内、向拝見上げには山号扁額が掲げられていました。
山号 | 婆娑羅山(ばさらさん) |
寺院名 | 報本寺(ほうほんじ) |
宗派 | 臨済宗(建長寺派) |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
真言 | おん あろりきゃ そわか |
住所 | 下田市加増野433-1 |