2005(平成17)年で創建500年を迎えた寺院です。北條早雲が榛原の石雲院より当寺に虚庵玄充を招き、当初は石雲院末でしたが虚庵が修禅寺第二世として普住したため以降は修禅寺末になったと伝わります。 かつては真言宗であったと云われています。トイレの神様である烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)を祀るお堂があり、毎年8月25日には例祭が行われます。
![](https://youg.site/wp-content/uploads/2024/03/Chogen-ji-768x475-1.jpg)
四季を感じて歩こう静岡路
2005(平成17)年で創建500年を迎えた寺院です。北條早雲が榛原の石雲院より当寺に虚庵玄充を招き、当初は石雲院末でしたが虚庵が修禅寺第二世として普住したため以降は修禅寺末になったと伝わります。 かつては真言宗であったと云われています。トイレの神様である烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)を祀るお堂があり、毎年8月25日には例祭が行われます。
1562(永禄5)年、僧・瓶山により開創されました。 本尊の薬師如来は、かつてこの地近くで討ち死にした豪族が守護仏として常に護持していたものと言われています。 その後衰微していたが、1620(元和6)年に再興され、曹洞宗として開山しました。春になると枝垂桜の美しい境内には、かわいらしい童地蔵や仏足石を目にすることができます。 源氏山七福神の福禄寿が祀られています。
源頼朝の正室・北條政子の弟である北條義時が創建した寺院です。義時の嫡子である安千代が領内の大池で大蛇に襲われ命を落とした際に、この北條寺を墓所として七堂伽藍を建立し、運慶に仏像を作らせた。
この祈願仏が、運慶の貴重な木造阿弥陀如来座像として知られています。 また、境内には義時夫妻の墓所があります。 寺院名の通り、北條氏と縁の深い寺です。
かつては真言宗の無住寺院だったが、1510(永正7)年に曹洞宗に改宗し、再興されました。伊豆八十八ヶ所霊場の他、中道三十三ヶ所霊場の第11番の札所となっています。
延徳元年、南渓によって創建された寺院という以外の沿革は不明です。町指定有形文化財である見事な鹿の襖絵や、境内には、隠れキリシタンの信仰と思われるマリア観音像があります。
火災により焼失したため、創立年代等は不明です。 しかし、初めは元屋敷にあったものを1206(元久8)年に中ノ坪に遷移し、更に1742(寛保2)年に現在地へと移転したと伝えられています。境内中央で1762(宝暦11)年に建てられた宝篋印塔を見ることができます。
延暦年間(901~902年)に空海によって創建されました。 伊豆に流刑されていた源頼朝が挙兵後、鎌倉に入るまでの100日間、本尊の延命地蔵菩薩を祈願佛として詣でたと云われています。 後に、境内で自刃した甲斐武田の2人の家臣を弔うために、荒廃した堂宇を再興し、その際に真言宗から曹洞宗へと改宗しました。 1814(文化11年)8月に火災で寺宝や過去帳などが焼失しましたが、本尊の延命地蔵菩薩は無事でした。
1289年に、浄土宗の僧である星誉によって開創された由緒ある寺院です。 しかし、豊臣秀吉の小田原征伐の際の三島焼き払いで焼失した他、類焼や震災、明治期の大火による火災を重ね、沿革は不明となっています。