第45番札所 向陽院

1402(応永9)年に天台宗の阿闍梨が諸国行脚で河内を訪れ、地蔵密庵と号した草庵を結び、虚空蔵菩薩と地蔵菩薩を奉ったことが草創です。

應永九年(1402年)叡山天台宗の学僧・公範阿闍梨が諸国行脚の折に河内を訪れました。
阿闍梨は、この辺りはいかにも諸佛遊化の霊地勝境と感得され、草庵を結ばれ虚空蔵菩薩と地蔵菩薩を奉安し、地蔵密庵と号したのが草創開基と伝わります。明應元年(1492年)、鎌倉から宣梅和尚(普翁國師とも)が入られ臨済宗に改宗して三壺山向陽院と号を改めて開山。

御本尊・地蔵菩薩は向陽院の縁の下から掘り出された石佛で、自ら疱瘡をなして里人の身代わりとなり、伊豆沖を航行する廻船が闇夜灘風に進路を失うときは、自ら燈火をともして航路を示されたといいます。とくに、海上安全、家内安全祈願の地蔵尊として信仰を集めているとのこと。現在、向陽院本堂には虚空蔵菩薩、高根山山上の境外仏堂には高根地蔵尊が奉安されている.

山門手前の「高根山地蔵尊別当」の碑と門柱の「壱月廿四日 高根地蔵海上交通安全祈祷会」の札板は、当山が高根山の地蔵尊の別当(いまでいうと護持寺院)であることを示しています。山門は切妻屋根桟瓦葺の四脚門、柱が細めですっきりとした印象です。

本堂は寄棟造桟瓦葺で手前に千鳥破風、大棟に山号を掲げています。水引虹梁両端に獅子の木鼻、頭貫上に斗栱、中備には本蟇股。向拝柱が太くがっしり安定感ある向拝です。

正面は本堂、参道左手に地蔵堂、右手にも堂宇があり、各堂の屋根が重なり合って美しいラインを描き出しています。

山内
右手の堂宇
本堂
向拝

地蔵堂は直角に2宇設置され、手前には多くの地蔵尊、奥のお堂には一躯の地蔵尊が奉安され、手前のお堂には高根不動尊の由緒書が掲げられていました。

地蔵堂
手前の地蔵堂
山号壺山(さんこさん)
寺院名向陽院(こうよういん)
宗派臨済宗(建長寺派)
本尊虚空蔵菩薩
真言のうぼう あきゃしゃきゃらばや
おんあり きゃ まりぼり そわか
住所下田市河内289

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