仁安二年(1167年)に文覚上人がこの地を訪れた際、護持の釈迦如来像を安置して庵を建てたのが草創といいます。建久中(1190-1199年)に永善寺(後永禅寺と改める)と号し、貞治中(1362-1368年)に僧寂室(近江永源寺の開山とも)が再興して臨済宗に改めたとされます。
“第74番札所 永禅寺” の続きを読む第75番札所 天然寺
1468(応仁2)年に雲誉文公によって創建されました。 しかし、1705(宝永2)年8月に大洪水によって流失、4年後の1709年に再建された。
“第75番札所 天然寺 ” の続きを読む第76番札所 浄泉寺
1414(応永21)年に及歎によって開かれた寺院です。慶安元年(1648年)には徳川家光公による御朱印状を受けましたが、寛文十一年(1671年)八月洪水により流出しました。。八世傳的が再興し、宝暦八年(1758年)には芝・増上寺の交代寺となりました。
“第76番札所 浄泉寺 ” の続きを読む第77番札所 円通寺
古くは弘法大師作と云われる観音像を安置したという、妙智山円通寺という名前の真言宗の小庵でした。 その後、東林友丘によって臨済宗に改宗となりました。 当時は那賀川の岸辺に沿って堂宇が建てられていましたが、今より200年ほど前に現在地に遷移しました。
“第77番札所 円通寺” の続きを読む第78番札所 禅海寺
寺の由緒書きに依ると、1192(建久3)年に栄西禅師がこの地を訪れ一宇を造り、祥雲山禅海寺と名づけたとありますが、住職に依ると栄西禅師は勧請されて始祖になったもので、実際は弟子の建立とのことです。
“第78番札所 禅海寺” の続きを読む第79番札所 建久寺
建久年間(1190-1198年)に創立と伝わる寺院です。後に安山という僧が再興、那賀村にあった当山を現在地に遷し、同時に檀徒も移住したといいます。永正4年(1507年)に焼失し、これ以外の詳細は伝わっていません。
“第79番札所 建久寺” の続きを読む第80番札所 帰一寺
1301(正安3)年に開かれた寺院で、当初は帰一庵と称していました。 後に帰一寺と名称を改めます。 1848(弘化5)年に現在の本堂が建立されました。
“第80番札所 帰一寺” の続きを読む第81番札所 宝蔵院
延暦十九年(800年)(大同3年(808年)とも)、27歳の弘法大師は伊豆巡錫中に仁科を訪れました。弘法大師が当地で読経されていると、森の中の六本の巨木が六条の光を放ちました。
お大師様はこれを六道衆生の苦しみを救済する地蔵菩薩有縁のものと考えられ、ここを富貴野山地蔵金剛法蔵密院と名づけられました。
第82番札所 慈眼寺
始祖といわれる復岩が1494(明応3)年入寂であることから、開山はそれ以前と思われます。 1644(正保元)年に再興されました。
“第82番札所 慈眼寺” の続きを読む第83番札所 東福寺
嘉元(1303-1306年)の頃(嘉元二年とも)災害に遭い、雲林和尚が濱村中村字中の島に移し旧天福寺の号に因んで天福山と号したといいます。(このとき東福寺と号したという説もある)
永和三年(1377年)災害のため諸堂が大破、應永二年(1395年)佛印大光禅師を中興開祖とし、真言宗から臨済宗へと改宗した。
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